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内子町うちこちょう

1920年には13の町村だった区域が、5回の合併・編入を経て、今の内子町になりました。

13町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の内子町

愛媛県のほぼ中央、南予の北端にある町です。面積の約8割を山林が占め、小田川に沿って平地が開けています。上流には谷あいの集落が点在します。江戸から明治にかけて、和紙と木蝋の生産で栄えました。当時の商家が並ぶ八日市・護国の町並みが今も残り、観光の中心になっています。果樹栽培も盛んで、棚田や屋根付き橋などの里山の風景も見られます。

今の内子町の区域の人口は、2020年の国勢調査で15,322人です。今の区域で数えた1980年の25,336人とくらべると39.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.9%です。

15,322人人口(2020年)
−39.5%1980年からの増減
299.43km²面積(国土地理院)
51人/km²人口密度
40.9%65歳以上の割合
25,3361980199020052020
15歳未満 10.5%15〜64歳 48.6%65歳以上 40.9%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:柿・ぶどう・梨などの果樹と林業の農林業が中心で、町並みを生かした観光も営まれます。

特産品・名産

  • 和ろうそく木蝋で栄えた内子の伝統の品
  • ぶどう観光農園でも育てられる果物
  • 柿町の名物・特産品に挙げられる果物

見どころ・祭り

  • 八日市・護国の町並み国の重要伝統的建造物群保存地区
  • 内子座芝居小屋。国の重要文化財
  • 木蝋資料館上芳我邸木蝋で栄えた商家。国の重要文化財
  • 田丸橋屋根付きの橋

内子町のなりたち

内子町(うちこちょう)は、愛媛県南予の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、13の町村がありました。村前村・石山村・天神村・御祓村・満穂村・大瀬村・立川村・五城村・田渡村・小田町村・参川村・五十崎村・内子町です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の内子町になりました。

今の名前「内子町」は、1920年にあった内子町の名前を受け継いでいます。ほかの12の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

1920年の時点で、この区域の町村は上浮穴郡・喜多郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧五十崎村の区域には五十崎駅(内子線)があります。

131920年の町村の数
5回合併・編入の回数
299km²今の面積
2005年いちばん新しい合併

「内子町」という名前

「内子」という地名の由来は、はっきりしていません。江戸時代の内子は大洲藩と新谷藩に属し、のちに木蝋や和紙の産地として名を高めました。2005年(平成17年)の合併のあとも、中心の町の名がそのまま町の名になりました。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)12月15日の町村制で、喜多郡に内子町や大瀬村・五城村・五十崎村などが、上浮穴郡に小田町村・参川村・田渡村などが発足しました。江戸時代から明治時代にかけて、内子は和紙と木蝋の産地として栄えた土地です。五十崎村は1920年(大正9年)5月21日に町制を施行し、1929年(昭和4年)には村前村が分かれて周りの3村に編入されました。昭和の大合併では、1954年(昭和29年)9月1日に五十崎町・天神村・御祓村が合わさって改めて五十崎町が、1955年1月1日に内子町・大瀬村・五城村・立川村・満穂村が合わさって改めて内子町が発足しました。上浮穴郡では、1955年3月31日に田渡村・小田町村・参川村が合わさって小田町ができています。2005年(平成17年)1月1日、内子町・五十崎町・小田町の3町が新設合併し、新しい内子町が発足しました。町域は愛媛県のほぼ中央にあり、小田川に沿って平地が開け、山林が町の面積の8割近くを占めます。江戸後期から明治の商家が並ぶ八日市・護国の町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれ、今は町づくりの核になっています。

年表

  1. 1889年12月15日明治22年町村制の施行により、喜多郡に内子町・大瀬村・五城村・立川村・満穂村・村前村・五十崎村・天神村・御祓村が、上浮穴郡に小田町村・石山村・参川村・田渡村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1908年9月30日明治41年伊予郡下灘村の一部(石畳)が喜多郡満穂村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.ehime.jp
  3. 1920年5月21日大正9年喜多郡五十崎村が町制を施行して五十崎町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ehime.jp
  4. 1929年12月26日昭和4年喜多郡村前村が分かれ、天神村・大瀬村・五城村にそれぞれ編入された。種類:分割 出典:www.pref.ehime.jp
  5. 1943年4月1日昭和18年上浮穴郡の小田町村と石山村が合併し、改めて小田町村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  6. 1954年9月1日昭和29年喜多郡の五十崎町・天神村・御祓村が合併し、改めて五十崎町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
  7. 1955年1月1日昭和30年喜多郡の内子町・大瀬村・五城村・立川村・満穂村が合併し、改めて内子町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
  8. 1955年3月31日昭和30年上浮穴郡の参川村・小田町村・田渡村が合併して小田町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
  9. 2005年1月1日平成17年喜多郡の内子町・五十崎町と上浮穴郡小田町が合併し、改めて内子町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

内子町1889〜今
五十崎村→五十崎町1889〜2005同じ名前の駅:五十崎駅
天神村1889〜1954
御祓村1889〜1954
小田町1955〜2005
田渡村1889〜1955
小田町村1889〜1955
石山村1889〜1943
参川村1889〜1955
満穂村1889〜1955
大瀬村1889〜1955
立川村1889〜1955
五城村1889〜1955
村前村1889〜1929

参考にした資料