今の大洲市
愛媛県西部の南予地方にあり、肱川の中流から河口までをふくむ市です。盆地にひらけた旧市街と、伊予灘に面した長浜地域、山あいの肱川・河辺地域からなります。江戸時代は大洲藩の城下町で、今は城と古い町並みが残ります。河口では、肱川あらしという現象が観察されます。農業のほか、食料品や木材の工場もあります。盆地では霧が出やすい土地柄です。
今の大洲市の区域の人口は、2020年の国勢調査で40,575人です。今の区域で数えた1980年の57,014人とくらべると28.8%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.4%です。
主な産業:食料品加工・木材加工などの工業と、野菜・果実・養豚などの農業が中心です。
特産品・名産
- いもたき市が郷土料理として紹介する鍋料理
- 志ぐれ市が名物として紹介する品
- 竹細工市が工芸品として紹介する
見どころ・祭り
- 大洲城木造で復元された天守がある城
- 臥龍山荘肱川のほとりの明治時代の山荘
- 長浜大橋肱川河口に架かる道路開閉橋
- 冨士山公園ツツジの名所
花ツツジ大洲市の花
大洲市のなりたち
大洲市(おおずし)は、愛媛県南予の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、26の町村がありました。大成村・蔵川村・滝川村・柴村・相生村・豊茂村・喜多山村・久米村・浮穴村・河辺村・宇和川村・大谷村・柳沢村・粟津村・三善村・上須戒村・新谷村・平野村・菅田村・南久米村・喜多灘村・櫛生村・出海村・横林村・長浜町・大洲町です。これらの町村が、11回の合併や編入を経て、今の大洲市になりました。
今の名前「大洲市」は、1920年にあった大洲町の名前を受け継いでいます。ほかの25の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の大洲町が約16km²だったのに対し、今の大洲市は約419km²と、およそ25.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は上浮穴郡・喜多郡・東宇和郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、東宇和郡は2004年(平成16年)4月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧喜多山村の区域には喜多山駅(内子線)があります。旧新谷村の区域には新谷駅(内子線)があります。
「大洲市」という名前
大洲は、以前は「大津」(大いなる渡し場の意味)と呼ばれていました。1617年に加藤貞泰が大津城を与えられて入城したあと、近江や土佐の大津と紛れるとして「大洲」に書き改めたと伝えられます。「洲」は、川の氾濫で土砂が積もった砂洲や中洲の地形を指し、肱川の流域の地勢にふさわしい名とされています。
まちの成り立ち
大洲は肱川の中下流にひらけ、江戸時代は大洲藩の城下町でした。1889年(明治22年)12月15日の町村制で、喜多郡に大洲町・長浜町と多くの村が生まれました。1934年(昭和9年)1月1日には大洲町・大洲村・久米村が合わさり、改めて大洲町となっています。1954年(昭和29年)9月1日、大洲町と平野村・南久米村・菅田村・大川村・柳沢村・新谷村・三善村・粟津村・上須戒村が合わさり、市制を施行して大洲市が生まれました。1958年(昭和33年)には、正信と鳥坂の区域が宇和町に移っています。肱川の下流側では、長浜町・喜多灘村・櫛生村・出海村・大和村・白滝村が1955年(昭和30年)1月1日に合わさって新しい長浜町になりました。上流の山あいでは、1943年に河辺村・宇和川村・大谷村が合わさって肱川村ができ、1951年に河辺村が再び分かれ、肱川村は1959年に町制を施行して肱川町となりました。2005年(平成17年)1月11日、大洲市・長浜町・肱川町・河辺村の1市2町1村が新設合併し、新しい大洲市が発足しました。肱川の流域がひとつの市にまとまり、山あいから伊予灘までが市域になりました。
年表
- 1889年12月15日明治22年町村制の施行により、喜多郡に大洲町・長浜町と久米村・南久米村・平村・喜多村・菅田村・大成村・蔵川村・柳沢村・田処村・新谷村・喜多山村・三善村・粟津村・上須戒村・大谷村・宇和川村・山鳥坂村・奥南村・喜多灘村・櫛生村・出海村・豊茂村・相生村・柴村・滝川村などが、西宇和郡に平野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1899年4月1日明治32年西宇和郡平野村が喜多郡に移った。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1908年4月1日明治41年喜多郡の平村と喜多村が合併して大洲村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1909年2月1日明治42年喜多郡の柳沢村と田処村が合併し、改めて柳沢村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1909年4月1日明治42年喜多郡の山鳥坂村と奥南村が合併して河辺村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1921年11月1日大正10年喜多郡の大成村と蔵川村が合併して大川村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1922年1月1日大正11年喜多郡の柴村と滝川村が合併して白滝村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1922年4月1日大正11年喜多郡の豊茂村と相生村が合併して大和村が発足し、新谷村と喜多山村が合併して改めて新谷村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1925年8月1日大正14年喜多郡南久米村の大字柚木が大洲町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.ehime.jp
- 1934年1月1日昭和9年喜多郡の大洲町・大洲村・久米村が合併し、改めて大洲町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1943年4月1日昭和18年上浮穴郡浮穴村の大字北平・川上が喜多郡河辺村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.ehime.jp
- 1943年4月29日昭和18年喜多郡の河辺村・宇和川村・大谷村が合併して肱川村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1948年4月1日昭和23年喜多郡肱川村の大字宇和川の一部が大川村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.ehime.jp
- 1951年1月1日昭和26年喜多郡肱川村のうち旧河辺村の区域が分かれて河辺村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.ehime.jp
- 1954年9月1日昭和29年喜多郡の大洲町・平野村・南久米村・菅田村・大川村・柳沢村・新谷村・三善村・粟津村・上須戒村が合併し、市制を施行して大洲市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1955年1月1日昭和30年喜多郡の長浜町・喜多灘村・櫛生村・出海村・大和村・白滝村が合併し、改めて長浜町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1955年2月11日昭和30年東宇和郡貝吹村と横林村の各一部が喜多郡肱川村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.ehime.jp
- 1958年8月1日昭和33年大洲市のうち正信と久保の鳥坂の区域が東宇和郡宇和町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.ehime.jp
- 1959年11月3日昭和34年喜多郡肱川村が町制を施行して肱川町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ehime.jp
- 2005年1月11日平成17年大洲市と喜多郡の長浜町・肱川町・河辺村が合併し、改めて大洲市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。