今の砥部町
愛媛県の中央にあり、松山市の南に重信川をはさんで接する町です。北部は砥部川の流れる盆地状の地形で、南部は標高の高い山間地です。町の中心は国道33号沿いにあります。江戸時代から焼き物の町として知られ、砥部焼の窯元が点在しています。みかんの栽培も盛んです。松山市のベッドタウンとして発展し、南部の広田地域には仙波渓谷などの自然が残ります。
今の砥部町の区域の人口は、2020年の国勢調査で20,480人です。今の区域で数えた1980年の17,958人とくらべると14.0%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は34.5%です。
主な産業:砥部焼の生産と、みかんなどの農業が中心です。松山市に近く、パンや機械の工場も立地します。
特産品・名産
- 砥部焼国の伝統的工芸品に指定された焼き物
- みかん温暖な気候のもとで育てられる
- 七折小梅梅の産地、七折地区の特産
見どころ・祭り
- 陶街道砥部焼の窯元などをめぐる観光の道
- 愛媛県立とべ動物園西日本屈指の規模とされる動物園
- 坂村真民記念館砥部町で暮らした詩人・坂村真民の記念館
- 仙波渓谷玉谷川がつくった景勝地
木クヌギ花ウメ砥部町の木・花
砥部町のなりたち
砥部町(とべちょう)は、愛媛県中予の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。原町村・広田村・砥部村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の砥部町になりました。
今の名前「砥部町」は、1920年にあった砥部村の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の砥部村が約31km²だったのに対し、今の砥部町は約99km²と、およそ3.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は伊予郡に属していました。
「砥部町」という名前
「砥部」は、砥石にちなむ地名です。この地では古くから、文献にも見られる良質の砥石「伊予砥」が採れ、それを産する町内のひとつの地区を「砥山」と呼んでいました。いつのころからか、周りの地域一帯も含めて「砥部」と呼ぶようになりました。
まちの成り立ち
明治の町村制で、下浮穴郡に砥部村・原町村・広田村が生まれました。砥部村は外山村など8村、原町村は麻生村など6村、広田村は高市村など8村が合わさってできた村です。1897年(明治30年)に3村は伊予郡に移っています。1928年(昭和3年)11月10日、砥部村が町制を施行して砥部町となりました。1929年(昭和4年)には、広田村の栗田地区が境界変更で中山町に移っています。1955年(昭和30年)3月31日、砥部町と原町村が合わさり、改めて砥部町が発足しました。1958年には伊予市の一部も砥部町に加わっています。2005年(平成17年)1月1日、砥部町と広田村が新設合併し、新しい砥部町が生まれました。町の名は、旧砥部町の名を引き継いでいます。この合併で、北は松山平野の南端から、南は山あいの広田地域まで、南北に細長い町になりました。交通の便と変化に富んだ自然から、昭和41年(1966年)以後は松山市のベッドタウンとして住宅が増え、人口が急に伸びました。柑橘類を中心とした果樹栽培が盛んで、国の伝統的工芸品に指定された砥部焼は、松山圏の大切な観光資源になっています。
年表
- 1889年12月15日明治22年町村制の施行により、下浮穴郡に砥部村・原町村・広田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年郡制の施行により、砥部村・原町村・広田村は伊予郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1928年11月10日昭和3年伊予郡砥部村が町制を施行して砥部町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ehime.jp
- 1929年3月15日昭和4年伊予郡広田村の大字栗田が中山町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.ehime.jp
- 1955年3月31日昭和30年伊予郡の砥部町と原町村が合併し、改めて砥部町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1958年11月1日昭和33年伊予市の一部(鵜崎の一部)が砥部町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.ehime.jp
- 2005年1月1日平成17年伊予郡の砥部町と広田村が合併し、改めて砥部町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。