今の今治市
愛媛県北東部、高縄半島の北東側と、瀬戸内海の島々にまたがる市です。陸地部には蒼社川や頓田川が流れ、平野に市街地が広がっています。島しょ部には大島・伯方島・大三島などがあり、しまなみ海道で本州と結ばれています。藤堂高虎が築いた今治城の城下町で、明治以降はタオルの産地として発展しました。造船や海運も盛んな、海とともにあるまちです。
今の今治市の区域の人口は、2020年の国勢調査で151,672人です。今の区域で数えた1980年の197,818人とくらべると23.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.9%です。
主な産業:タオルの製造と、造船・海運などの海事産業が中心です。みかんなどの柑橘栽培や漁業も営まれています。
特産品・名産
- 今治タオル市の地場産業を代表するタオル
- 今治焼き鳥鶏肉を鉄板で押さえて焼く料理
- 菊間瓦菊間地域で作られてきた瓦
見どころ・祭り
- 今治城藤堂高虎が築いた海辺の城
- 大山祇神社大三島の神社。境内のクスノキ群は天然記念物
- 亀老山展望公園大島の亀老山にある展望台
- 能島城跡村上海賊ゆかりの島の城跡
木クスノキ花ツツジ今治市の木・花
今治市のなりたち
今治市(いまばりし)は、愛媛県東予の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、35の町村がありました。日吉村・歌仙村・近見村・立花村・大山村・九和村・鴨部村・龍岡村・鈍川村・津倉村・渦浦村・亀山村・西伯方村・波止浜町・乃万村・桜井町・日高村・富田村・清水村・盛口村・瀬戸崎村・亀岡村・鏡村・宮浦村・大井村・小西村・下朝倉村・上朝倉村・岡山村・東伯方村・関前村・宮窪村・波方村・菊間町・今治町です。これらの町村が、13回の合併や編入を経て、今の今治市になりました。
今の名前「今治市」は、1920年にあった今治町の名前を受け継いでいます。ほかの34の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は越智郡に属していました。
「今治市」という名前
「今治」の名は鎌倉時代の建治2年(1276年)ごろの文献に見え、14世紀後半の『太平記』には「今張」と書かれています。慶長5年(1600年)に藤堂高虎がこの地に入って今治城を築いたとき、「今張」を「今治」として届け出たといわれます。読み方も「イマハリ」「イマハル」などさまざまでしたが、市制施行の年の1920年(大正9年)9月8日、市議会で「いまばり」と呼ぶことが決まりました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)12月15日の町村制の施行で、越智郡に今治町や周りの村々が、野間郡に波止浜村・菊間村などが生まれました。1897年に野間郡は越智郡に合わさります。1920年(大正9年)2月11日、今治町が日吉村と合わさって市制を施行し、今治市が誕生しました。その後は周りの町村を編入して広がり、1933年に近見村、1940年に立花村を編入し、1955年(昭和30年)2月1日には富田村・桜井町・清水村・日高村・波止浜町・乃万村を編入しました。越智郡の島しょ部と陸地部でも、昭和の大合併のころに玉川村・吉海町・上浦村・大三島町・大西町・朝倉村などが新しく生まれ、波方町・玉川町・上浦町が町制を施行しています。2005年(平成17年)1月16日、今治市と越智郡の朝倉村・玉川町・波方町・大西町・菊間町・吉海町・宮窪町・伯方町・上浦町・大三島町・関前村の12市町村が新設合併し、新しい今治市が生まれました。この合併で、しまなみ海道の愛媛県側がすべて市域に入り、陸地部と島しょ部からなる広い市になりました。
年表
- 1889年12月15日明治22年町村制の施行により、越智郡に今治町・日吉村・立花村・富田村・桜井村・上朝倉村・下朝倉村・清水村・鴨部村・鈍川村・竜岡村・九和村・日高村・近見村・亀山村・津倉村・大山村・宮窪村・西伯方村・東伯方村・瀬戸崎村・盛口村・鏡村・宮浦村・岡山村・関前村が、野間郡に波止浜村・波方村・乃万村・大井村・小西村・亀岡村・歌仙村・菊間村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年郡制の施行により野間郡が越智郡に合わさり、波止浜村・波方村・乃万村・大井村・小西村・亀岡村・歌仙村・菊間村は越智郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1899年7月1日明治32年越智郡亀山村の一部(椋名・津島)が分かれて渦浦村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1908年1月1日明治41年越智郡の波止浜村が町制を施行して波止浜町に、菊間村が町制を施行して菊間町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ehime.jp
- 1917年10月1日大正6年越智郡桜井村が町制を施行して桜井町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ehime.jp
- 1920年2月11日大正9年越智郡の今治町と日吉村が合併し、市制を施行して今治市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1925年1月1日大正14年越智郡の菊間町と歌仙村が合併し、改めて菊間町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1933年2月11日昭和8年越智郡近見村が今治市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.ehime.jp
- 1940年1月1日昭和15年越智郡立花村が今治市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.ehime.jp
- 1940年11月3日昭和15年越智郡東伯方村が町制を施行し、伯方町と改称した。種類:町制施行 出典:www.pref.ehime.jp
- 1952年8月1日昭和27年越智郡宮窪村が町制を施行して宮窪町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ehime.jp
- 1954年3月31日昭和29年越智郡の鴨部村・竜岡村・鈍川村・九和村が合併して玉川村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1954年3月31日昭和29年越智郡の津倉村・亀山村・渦浦村と大山村の一部(田浦・泊・福田)が合併して吉海町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1954年3月31日昭和29年越智郡大山村の残る区域のうち余所国・早川が宮窪町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.ehime.jp
- 1955年1月1日昭和30年越智郡の伯方町と西伯方村が合併し、改めて伯方町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1955年2月1日昭和30年越智郡の富田村・桜井町・清水村・日高村・波止浜町・乃万村が今治市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.ehime.jp
- 1955年3月30日昭和30年越智郡の瀬戸崎村と盛口村が合併して上浦村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1955年3月31日昭和30年越智郡の鏡村と宮浦村が合併して大三島町が、大井村と小西村が合併して大西町が発足し、菊間町と亀岡村が合併して改めて菊間町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1955年8月1日昭和30年越智郡吉海町のうち馬島が今治市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.ehime.jp
- 1956年3月31日昭和31年越智郡の上朝倉村と下朝倉村が合併して朝倉村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1956年9月23日昭和31年越智郡の大三島町と岡山村が合併し、改めて大三島町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
- 1960年3月1日昭和35年越智郡波方村が町制を施行して波方町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ehime.jp
- 1960年5月1日昭和35年越智郡波方町の大浦の一部が今治市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.ehime.jp
- 1962年4月1日昭和37年越智郡玉川村が町制を施行して玉川町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ehime.jp
- 1964年4月1日昭和39年越智郡上浦村が町制を施行して上浦町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ehime.jp
- 2005年1月16日平成17年今治市と越智郡の朝倉村・玉川町・波方町・大西町・菊間町・吉海町・宮窪町・伯方町・上浦町・大三島町・関前村が合併し、改めて今治市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。