今の鶴田町
津軽平野の中ほどにあり、岩木川が流れる町です。西部には津軽富士見湖(廻堰大溜池)があり、五所川原市・弘前市・つがる市・板柳町と接しています。りんごと米づくりが盛んで、ぶどうのスチューベンの産地でもあります。湖にかかる鶴の舞橋は、町を代表する景色です。湖の周りには多くの野鳥が集まり、丹頂鶴自然公園もあります。
今の鶴田町の区域の人口は、2020年の国勢調査で12,074人です。今の区域で数えた1980年の16,892人とくらべると28.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.9%です。
主な産業:米とりんごの栽培が盛んで、ぶどうのスチューベンやサクランボも作られます。
特産品・名産
- りんご町で最も作付けの多い果樹
- つるたスチューベン地理的表示(GI)に登録されたぶどう
- サクランボ町の特産品の一つ
- スチューベンワイン町産のぶどうで造るワイン
- つるた焼町でつくられる陶器
見どころ・祭り
- 鶴の舞橋全長300mの県産ヒバの三連太鼓橋
- 津軽富士見湖周囲11kmの廻堰大溜池。野鳥が多い
- 丹頂鶴自然公園津軽富士見湖のほとりの公園
- トドロッポ県の天然記念物のモミの木
木松花りんごの花鳥丹頂鶴鶴田町の木・花・鳥
鶴田町のなりたち
鶴田町(つるたまち)は、青森県西北五地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。水元村・梅沢村・六郷村・鶴田村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の鶴田町になりました。
今の名前「鶴田町」は、1920年にあった鶴田村の名前を受け継いでいます。ほかの3の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の鶴田村が約13km²だったのに対し、今の鶴田町は約50km²と、およそ3.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北津軽郡・西津軽郡に属していました。
「鶴田町」という名前
「鶴田」の名の由来ははっきりしていません。鶴田郷土史は、鶴が群れていたことにちなむ村名だろうとしていますが、言い切ってはいません。1888年(明治21年)に村をまとめる際に県へ出された「町村分合理由書」には、鶴田の名は大きな村の名によると書かれているだけです。町名は、1889年に発足した鶴田村の名を受けついでいます。
まちの成り立ち
鶴田は津軽平野の中ほどにあり、岩木川が流れる町です。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、鶴田村・強巻村・大巻村・大性村・菖蒲川村・鶴泊村が一つになり、鶴田村が発足しました。同じとき、周りには梅沢村・六郷村と、西津軽郡の水元村も生まれています。鶴田村は1941年(昭和16年)10月1日に町制を施行して鶴田町となりました。1955年(昭和30年)3月1日、鶴田町が梅沢村・六郷村、西津軽郡の水元村と合わさり、改めて鶴田町が発足しました。その後、1956年には梅田と中泉の地区が五所川原市へ、1958年には石野と野中の地区が板柳町へ移っています。平成の合併の時期には板柳町や五所川原市と合併を話し合いましたが、いずれもまとまりませんでした。町はりんごと米づくりが盛んで、ぶどうのスチューベンも名産です。津軽富士見湖(廻堰大溜池)にかかる鶴の舞橋は、全長300mの県産ヒバの木橋で、三連の太鼓橋としては日本一長い木の橋です。湖の周りでは約130種類の野鳥が見られます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北津軽郡に鶴田村・梅沢村・六郷村が、西津軽郡に水元村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1941年10月1日昭和16年北津軽郡鶴田村が町制を施行して鶴田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年3月1日昭和30年北津軽郡の鶴田町・梅沢村・六郷村と西津軽郡水元村が合併し、改めて北津軽郡鶴田町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 1956年11月1日昭和31年鶴田町の一部(梅田・中泉)が五所川原市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1958年4月1日昭和33年鶴田町の一部(石野・野中)が板柳町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 2005年4月28日平成17年板柳町と鶴田町の津軽中央地域合併協議会が、板柳町の離脱により廃止された。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 2009年10月16日平成21年鶴田町が申し入れた五所川原市との合併の検討会が、協議を打ち切って解散した。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。