今の鰺ヶ沢町
青森県西部の日本海に面した細長い町で、南は白神山地で秋田県と接します。東には岩木山がそびえ、赤石川・中村川・鳴沢川が日本海へ注ぎます。町の面積の約8割は山林です。藩政時代は津軽藩の御用港として栄え、津軽氏発祥の地とされる種里があります。ヒラメやイカなど日本海の海の幸が知られ、夏には海水浴場がにぎわいます。
今の鰺ヶ沢町の区域の人口は、2020年の国勢調査で9,044人です。今の区域で数えた1980年の17,402人とくらべると48.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.7%です。
主な産業:日本海の漁業と、山あいの林業・農業が営まれ、白神山地などの観光もあります。
特産品・名産
- 鰺ヶ沢ヒラメのヅケ丼町が紹介するヒラメのご当地丼
- 赤石川の金アユ赤石川で育つ金色に輝くアユ
見どころ・祭り
- 白神山地世界自然遺産。南の秋田県境に広がる
- 種里城跡国の史跡。大浦光信が入った城
- くろくまの滝日本の滝百選
- イカのカーテン海沿いでイカを干す光景
木ケヤキ花ハマナス鳥ウグイス鰺ヶ沢町の木・花・鳥
鰺ヶ沢町のなりたち
鰺ヶ沢町(あじがさわまち)は、青森県西北五地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。鳴沢村・舞戸村・赤石村・中村・鯵ヶ沢町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の鰺ヶ沢町になりました。
今の名前「鰺ヶ沢町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は西津軽郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧鳴沢村の区域には鳴沢駅(五能線)があります。
「鰺ヶ沢町」という名前
「鰺ヶ沢」の名の由来には、いくつかの説があります。小川に鰺がたくさんのぼったからという説、鰺がたくさんとれて「鰺屋沢」と呼ばれたからという説、町内の一丁目沢のあたりが古い地図に「アシが沢」と書かれていたからという説です。どの説が正しいかはわかりませんが、鰺ヶ沢の地名は、およそ470年前の文書にすでに記されています。
まちの成り立ち
鰺ヶ沢は青森県の西部、日本海沿いにあり、南は白神山地で秋田県と接しています。南北朝時代の石碑などから、そのころにはすでに集落があったと考えられています。1491年には、津軽藩の始祖とされる大浦光信が種里に入りました。藩政時代には津軽藩の御用港が置かれ、海の玄関口として栄えました。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、田中町・七ツ石町・米町など11の町が一つになって鰺ヶ沢町が発足し、津軽西部の政治と経済の中心になりました。1955年(昭和30年)3月31日、鰺ヶ沢町が赤石村・中村・鳴沢村・舞戸村と合わさり、改めて鰺ヶ沢町が発足しました。このとき鳴沢村のうち出来島の地区は、前日に生まれた木造町に加わっています。平成の合併の時期には深浦町・岩崎村と話し合いましたが、2004年(平成16年)に協議会が廃止されました。町は東西約22km、南北約40kmと細長く、赤石川・中村川・鳴沢川が日本海に注ぎます。町の面積の約8割は山林で、赤石川と中村川の源流には国有林が広がります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、西津軽郡に鰺ヶ沢町・赤石村・中村・鳴沢村・舞戸村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年3月30日昭和30年西津軽郡鳴沢村の一部(大字出来島)が、舘岡村などと合わさって発足した木造町に加わった。種類:一部編入 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年西津軽郡の鰺ヶ沢町・舞戸村・中村・赤石村と鳴沢村(大字出来島を除く)が合併し、改めて鰺ヶ沢町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 2004年1月13日平成16年鰺ヶ沢町・深浦町・岩崎村の西海岸三町村合併推進協議会が、岩崎村の離脱により廃止された。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。