今の平内町
青森県のほぼ中央に位置し、北の陸奥湾に夏泊半島が突き出す町です。南は烏帽子岳や夜越山などの山地で、小湊川や清水川が陸奥湾に注ぎます。町の中心部を国道4号と青い森鉄道線が東西に通ります。米づくりと養殖ホタテの漁業が基幹産業で、ホタテの生産量は日本一です。ハクチョウの渡来地の浅所海岸や、ツバキ自生北限地帯の椿山が知られます。
今の平内町の区域の人口は、2020年の国勢調査で10,126人です。今の区域で数えた1980年の17,501人とくらべると42.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.1%です。
主な産業:水稲を中心とした農業と、生産量日本一の養殖ホタテの漁業が基幹産業です。
特産品・名産
- ホタテ養殖ホタテの生産量は日本一
- 米水稲が農業の中心
見どころ・祭り
- 浅所海岸小湊のハクチョウの渡来地。特別天然記念物
- 椿山ツバキ自生北限地帯。国の天然記念物
- 椿山海岸日本の渚・百選
- 藩境塚(四ツ森)津軽藩と南部藩の境の塚
- 夜越山森林公園町の南部の山にある公園
木マツ花ツバキ鳥ハクチョウ平内町の木・花・鳥
平内町のなりたち
平内町(ひらないまち)は、青森県東青地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。中平内村・西平内村・東平内村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の平内町になりました。
今の名前「平内町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の中平内村が約89km²だったのに対し、今の平内町は約232km²と、およそ2.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は東津軽郡に属していました。
「平内町」という名前
「平内」の由来には二つの説があります。一つは、アイヌ語の「ピラ・ナイ」(崖の川)に由来し、谷を流れる川を表すという説です。もう一つは、「平」はこの地を初めて治めた平氏、「内」は宮中の役職の内舎人を表すという説です。1955年(昭和30年)に3町村が合併したとき、歴史的に意味の深い名として平内町の名が選ばれました。
まちの成り立ち
平内町は青森県のほぼ中央にあり、西は青森市、東は野辺地町と接します。北は陸奥湾に面し、夏泊半島が海に突き出しています。町の南部は山地で、烏帽子岳や夜越山があります。江戸時代、東の狩場沢と野辺地の馬門の間には、津軽藩と南部藩の境を示す藩境塚(四ツ森)が築かれ、今も残っています。1871年(明治4年)の廃藩置県の後、小湊に戸長役場が置かれました。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、東平内村・中平内村・西平内村の3村に分かれて発足しました。1928年(昭和3年)10月1日には、中平内村が町制を施行して小湊町となりました。1955年(昭和30年)3月31日、小湊町・東平内村・西平内村が合わさり、平内町が誕生しました。平成の合併の時期には青森市との合併も話し合われましたが、住民アンケートで反対が多く、見送られました。町は養殖ホタテの生産量が日本一の「ホタテの町」で、津軽三味線の高橋竹山が生まれ育った町としても知られます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、東津軽郡に東平内村・中平内村・西平内村が発足した。種類:町村制 出典:www.town.hiranai.aomori.jp
- 1928年10月1日昭和3年東津軽郡中平内村が町制を施行するとともに改称し、小湊町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年東津軽郡の小湊町・東平内村・西平内村が合併して平内町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 2003年2月平成15年住民アンケートで反対が多数となり、平内町は合併特例法の期限内に青森市と合併することを検討しないと表明した。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。