今の田子町
青森県の最南部にあり、岩手県・秋田県との境に位置する山あいの町です。四角岳をはじめ、大黒森などの山々に囲まれ、熊原川や相米川が流れます。和平高原は星空の美しい場所として知られます。畑作が中心で、ニンニクは全国的に知られ、田子牛などの畜産も行われています。田子神楽などの伝統芸能も伝わります。
今の田子町の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,968人です。今の区域で数えた1980年の8,878人とくらべると44.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は43.9%です。
主な産業:ニンニクを中心とする畑作と、田子牛などの畜産が盛んです。
特産品・名産
- ニンニク全国に知られる町の特産
- 田子牛町内で育てられる肉牛
見どころ・祭り
- 和平高原星空の美しい高原
- 大黒森頂上付近にヤマツツジが群生する
- みろくの滝熊原川の源流にある滝
- 田子神楽県の無形民俗文化財
木ナナカマド花ヤマツツジ鳥キセキレイ田子町の木・花・鳥
田子町のなりたち
田子町(たっこまち)は、青森県三八地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。上郷村・田子村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の田子町になりました。
今の名前「田子町」は、1920年にあった田子村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の田子村が約125km²だったのに対し、今の田子町は約256km²と、およそ2.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は三戸郡に属していました。
「田子町」という名前
「田子」は、アイヌ語で小高い丘を意味する「タプコプ」に由来するという説があります。町内の佐羽内も、アイヌ語の「サッパナイ」(広く崩れた沢)に由来するとされます。1889年(明治22年)の町村制で田子村と相米村が一つになったとき田子村の名が使われ、1928年(昭和3年)に町制を施行して田子町となりました。
まちの成り立ち
田子町は青森県の最南部にあり、岩手県と秋田県に接する山あいの町です。町の面積の多くを山地が占め、熊原川や相米川が流れます。縄文時代の遺跡が多く分布しています。鎌倉時代の初めに南部光行が糠部の五郡を与えられてからは南部氏の土地となり、田子にも支城が築かれて鹿角方面への要所となりました。江戸時代には、尾去沢鉱山(今の秋田県鹿角市)から野辺地の港へ向かう交易の道として栄えました。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、田子村と相米村が一つになって田子村が、周りの7村が一つになって上郷村が発足しました。田子村は1928年(昭和3年)11月10日に町制を施行して田子町となりました。1955年(昭和30年)3月1日、田子町と上郷村が合わさり、今の田子町が発足しました。平成の合併の時期には八戸市を中心とする協議会に加わりましたが、協議会が廃止され、単独の町として続いています。農業ではニンニクが全国に知られ、和平高原は1992年に環境庁の調査で星空の美しい場所に選ばれました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、三戸郡の田子村と相米村が合併して田子村が、原村・石亀村・茂市村など7村が合併して上郷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1928年11月10日昭和3年三戸郡田子村が町制を施行して田子町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年3月1日昭和30年三戸郡の田子町と上郷村が合併し、改めて田子町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 2004年6月30日平成16年八戸市を中心とする8市町村の八戸地域合併協議会が廃止され、田子町は合併しなかった。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。