今の富士吉田市
山梨県の南東部、富士山の北麓にあり、郡内地方の中心となるまちです。市街地は標高650〜900mの高原にあり、桂川や宮川が流れます。昔から富士山を拝む人々を迎えた門前のまちで、織物の産地でもあります。火山性の土地で稲作に向かず、雑穀が作られてきました。今は富士山の観光と遊園地、吉田のうどんで知られ、北部には自衛隊の演習場も広がります。
今の富士吉田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で46,530人です。今の区域で数えた1980年の53,569人とくらべると13.1%減り、人口は1990年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は30.9%です。
主な産業:観光(富士山・富士急ハイランド)、織物業、食品・サービス業
特産品・名産
- 吉田のうどん麺が硬く、キャベツと馬肉を具にするうどん
- 織物郡内地方で古くから続く産業
見どころ・祭り
- 北口本宮冨士浅間神社富士山吉田口の登山口にある神社
- 吉田の火祭日本三奇祭の一つ。8月26日
- 新倉山浅間公園桜と富士山の眺めで知られる公園
- 富士急ハイランド富士河口湖町にまたがる遊園地
- 上吉田の御師町富士参りの人を迎えた御師の家が並んだ町
木しらかば花ふじざくら鳥アカゲラ富士吉田市の木・花・鳥
富士吉田市のなりたち
富士吉田市(ふじよしだし)は、山梨県富士・東部地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。瑞穂村・明見村・福地村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の富士吉田市になりました。
今の名前「富士吉田市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は南都留郡に属していました。
「富士吉田市」という名前
市の名は、古くからの地名「吉田」に「富士」をかぶせたものです。1951年(昭和26年)に富士上吉田町・下吉田町・明見町の3町が合併するとき、新しい市の名前をどうするかが話し合われました。「三町合同議会協議会」で、吉田という古い名に富士をつけて「富士吉田」とすることが決まりました。もとになった上吉田・下吉田は、明治の初めまで村の名でもありました。
まちの成り立ち
富士吉田は富士山の北麓、海抜650〜900mほどの高原にあります。中世から富士信仰の門前集落として栄え、上吉田には富士参りの人々を迎える御師が集まって御師町ができました。火山性の土地で米づくりには向かず、ヒエやトウモロコシなどの雑穀が作られ、暮らしは織物にも支えられました。
1875年(明治8年)に村々がまとまって瑞穂村・明見村・福地村ができ、1889年(明治22年)7月1日の町村制で南都留郡のこの3村が発足しました。1939年(昭和14年)に瑞穂村が町制を施行して下吉田町に、1947年(昭和22年)に福地村が町制を施行して富士上吉田町に、1948年(昭和23年)に明見村が町制を施行して明見町になりました。
1951年(昭和26年)3月20日、下吉田町・明見町・富士上吉田町の3町が合併して富士吉田市が発足しました。県内で2番目、郡内地方では最初の市です。1960年(昭和35年)1月1日には西桂町の大字上暮地の大部分などを編入し、今の市域になりました。富士山は市のシンボルで、市役所には富士山課が置かれています。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、南都留郡に瑞穂村・明見村・福地村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1939年8月1日昭和14年瑞穂村が町制を施行するとともに改称し、下吉田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1947年11月23日昭和22年福地村が町制を施行するとともに改称し、富士上吉田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1948年明見村が町制を施行し、明見町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1951年3月20日昭和26年下吉田町・明見町・富士上吉田町が合併し、富士吉田市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1960年1月1日昭和35年西桂町の大字上暮地の大部分と大字下暮地・小沼のごく一部が富士吉田市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。