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鳴沢村なるさわむら

鳴沢村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の鳴沢村

山梨県の中南部、富士山の北麓にあり、南は静岡県と接する村で、南都留郡に属します。村域のすべてが富士箱根伊豆国立公園に含まれ、溶岩流が作った地形や樹海が広がります。標高が高く冷涼で、昔は養蚕、今はキャベツなどの高原野菜づくりが営まれます。氷穴や熔岩樹型、紅葉台などの自然の名所があり、別荘地やゴルフ場もあるまちです。

今の鳴沢村の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,824人です。今の区域で数えた1980年の2,249人とくらべると25.6%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は34.4%です。

2,824人人口(2020年)
+25.6%1980年からの増減
89.58km²面積(国土地理院)
32人/km²人口密度
34.4%65歳以上の割合
2,9641980199020052020
15歳未満 11.8%15〜64歳 53.8%65歳以上 34.4%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:高原野菜(キャベツなど)、観光、別荘地・ゴルフ場

特産品・名産

  • 夏秋キャベツ涼しい気候を生かした村の特産
  • 鳴沢菜鳴沢村固有のかぶ菜
  • トウモロコシ道の駅で焼きもろこしにもなる特産

見どころ・祭り

  • 鳴沢氷穴富士山の噴火でできた溶岩洞窟
  • 鳴沢熔岩樹型溶岩に包まれた樹木の跡が残る
  • 紅葉台昭和初期から知られた展望の地
  • 青木ヶ原樹海溶岩流の上に広がる森
  • 道の駅なるさわ富士山博物館や物産館がある

木いちい花しゃくなげ鳥きじ鳴沢村の木・花・鳥

鳴沢村のなりたち

鳴沢村(なるさわむら)は、山梨県富士・東部地域の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに鳴沢村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の時点で、この区域の町村は南都留郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
90km²今の面積

「鳴沢村」という名前

「鳴沢」という村名の由来は、はっきりしていません。『万葉集』巻十四には、富士の高嶺の「鳴沢」を詠んだ歌があります。ただ、この「鳴沢」が今の鳴沢村の地を指すかどうかはわかっていません。村は富士山の北のふもとにあり、1889年(明治22年)に成沢村と大嵐村の区域で発足したときから「鳴沢村」の名を名のっています。

まちの成り立ち

鳴沢は富士山の北麓にあります。戦国時代には甲斐の武田氏が鳴沢に関所を置きました。江戸時代は谷村藩の領地となり、御巣鷹山は鷹場として鷹を献上していました。

1889年(明治22年)7月1日、町村制の施行により、成沢村と大嵐村の区域で南都留郡鳴沢村が発足しました。1899年(明治32年)5月17日には大字大嵐が分かれて大嵐村になりました。大嵐村はその後、足和田村を経て、今は富士河口湖町の一部です。

近代にはジャガイモやトウモロコシの畑が広がり、鳴沢氷穴を蚕の卵の保管庫に使った養蚕も盛んになりました。昭和の初めに富士吉田まで鉄道が開通すると、紅葉台や風穴、氷穴が観光地として注目されます。戦後は別荘地やゴルフ場がつくられ、養蚕が衰えたあとは、涼しい気候を生かしたキャベツなどの高原野菜の栽培が行われています。

平成の大合併のころ、2004年(平成16年)3月に西八代郡上九一色村から南部地域との合併協議の申し入れがありましたが、鳴沢村はこれを断り、単独の村を続けています。村の全域が富士箱根伊豆国立公園に含まれます。

年表

  1. 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、成沢村・大嵐村の区域をもって南都留郡に鳴沢村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1899年5月17日明治32年鳴沢村の大字大嵐が分かれて大嵐村(今の富士河口湖町)が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

鳴沢村1889〜今

参考にした資料