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西桂町にしかつらちょう

西桂町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の西桂町

山梨県の南東部、南都留郡にある町です。北の三つ峠と南の杓子山の山麓にはさまれた標高600mほどの土地を桂川が流れ、その流れに沿って集落が並びます。富士吉田市と都留市のあいだにあり、大月から吉田へ向かう道筋にあたります。江戸時代から織物の産地で、今もネクタイやストール、洋傘などの織物がつくられています。三つ峠はハイキングやロッククライミングの山として知られます。

今の西桂町の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,041人です。今の区域で数えた1980年の4,002人とくらべると1.0%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は30.5%です。

4,041人人口(2020年)
+1.0%1980年からの増減
15.22km²面積(国土地理院)
266人/km²人口密度
30.5%65歳以上の割合
4,9101980199020052020
15歳未満 11.0%15〜64歳 58.6%65歳以上 30.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:甲州織の技術を受けつぐ織物業(ネクタイ・ストール・洋傘など)

特産品・名産

  • 甲州織ネクタイ・ストール・洋傘などの織物
  • 甲斐絹の洋傘絣の絹織物を使った傘

見どころ・祭り

  • 三つ峠ハイキングやロッククライミングで知られる山
  • 三つ峠遺跡湧水が湧く、県内でいちばん高い所の遺跡

木赤松花水仙鳥シジュウカラ西桂町の木・花・鳥

西桂町のなりたち

西桂町(にしかつらちょう)は、山梨県富士・東部地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに西桂村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は南都留郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
15km²今の面積

「西桂町」という名前

「桂」の字は、1875年(明治8年)1月19日に上暮地・下暮地・小沼・倉見・境・鹿留・夏狩・十日市場の東西8か村が合わさって桂村が生まれたとき、桂川からとったものと考えられています。桂川の名は、都留郡の「つる」と関わりがあるとする説などがあります。1893年(明治26年)に桂村が東西に分かれ、西側の4つの大字で西桂村が発足しました。

まちの成り立ち

江戸時代の西桂は、谷村藩の領地を経て幕府の直轄地となりました。富士講の道者や修験者が泊まる宿駅として栄え、郡内織と呼ばれる織物の産地でもありました。

1875年(明治8年)1月19日、上暮地・下暮地・小沼・倉見・境・鹿留・夏狩・十日市場の8か村が合わさって桂村が生まれ、1889年(明治22年)7月1日の町村制でも南都留郡桂村となりました。1893年(明治26年)6月3日に桂村は二つに分かれ、上暮地・下暮地・小沼・倉見の区域で西桂村が、残りの区域で東桂村が発足しました。

西桂村は1952年(昭和27年)9月15日に町制を施行して西桂町となりました。1960年(昭和35年)1月1日には、大字上暮地の大部分と下暮地・小沼のごく一部が富士吉田市に編入されています。ほかの市町村との合併はしていません。

町は三つ峠の山麓と杓子山の山麓にはさまれた標高600mほどの土地にあり、桂川の流れに沿って集落が並びます。大月から吉田へ向かう道筋にあたり、かつての鎌倉街道にも通じていました。

年表

  1. 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、南都留郡に桂村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1893年6月3日明治26年桂村が分割され、十日市場・夏狩・鹿留・境の区域に東桂村が、倉見・小沼・下暮地・上暮地の区域に西桂村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
  3. 1952年9月15日昭和27年西桂村が町制を施行し、西桂町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  4. 1960年1月1日昭和35年西桂町の大字上暮地の大部分と、大字下暮地・小沼のごく一部が富士吉田市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

西桂村→西桂町1893〜今

参考にした資料