今の忍野村
山梨県の南東部、南都留郡にある村です。富士山と御坂山地に囲まれた海抜936mの盆地に広がり、東の内野と西の忍草の二つの集落からなります。富士山の湧水が湧く忍野八海があり、多くの観光客が訪れます。寒い土地のため、昔は山仕事や養蚕が暮らしを支えました。今は観光のほか、工作機械用のNC装置などをつくるファナックの本社や工場があり、そばやトウモロコシも知られています。
今の忍野村の区域の人口は、2020年の国勢調査で9,237人です。今の区域で数えた1980年の6,077人とくらべると52.0%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は19.6%です。
主な産業:観光(忍野八海)、ファナックの工場などの製造業、そば・トウモロコシなどの農業
特産品・名産
- 忍野そば県内有数のそば粉の産地。製麺所が多い
- トウモロコシ甘みが強く、旬は8月ごろ
見どころ・祭り
- 忍野八海富士山の湧水が湧く池
- 忍草浅間神社本殿が村の重要文化財
- 鐘山の滝村内の自然の名所
- 山梨県立富士湧水の里水族館さかな公園にある水族館
木イチイ花富貴草鳥つばめ忍野村の木・花・鳥
忍野村のなりたち
忍野村(おしのむら)は、山梨県富士・東部地域の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに忍野村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は南都留郡に属していました。
「忍野村」という名前
「忍野」は、1875年(明治8年)に忍草村と内野村が合わさったときにつくられた合成地名です。忍草の「忍」と内野の「野」を一字ずつとって組み合わせました。このとき最初に考えられた村名は「豊葦村」でしたが、二つの村の名をとった今の形に改められました。村は今も、西の忍草と東の内野の二つの地区からなっています。
まちの成り立ち
忍野は富士山と御坂山地に囲まれた、海抜936mの盆地にあります。寒い土地のため昔から農業だけでは暮らしを立てにくく、木挽きや木かやとりといった山仕事が副業として営まれました。江戸時代の終わりから1897年(明治30年)ごろにかけては、馬で荷物を運ぶ「駄賃つけ」が盛んになり、その後は養蚕が広がりました。忍草浅間神社には、1315年(正和4年)に作られた木造の浅間神像などが伝わっています。
1875年(明治8年)2月15日、忍草村と内野村が合わさって忍野村が生まれました。1889年(明治22年)7月1日の町村制でも、そのままの区域で南都留郡忍野村が発足し、中野村(今の山中湖村)と組合村をつくりました。
戦後は淡水魚の養殖や観光が伸び、富士山の湧水が湧く忍野八海に多くの人が訪れます。富士山のすそ野の梨ヶ原は、1959年(昭和34年)から自衛隊の北富士演習場として使われています。1972年(昭和47年)には工作機械用のNC装置などで知られるファナックが誘致されました。平成の大合併では富士吉田市や山中湖村などとの合併案が示されましたが、今も単独の村として続いています。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、忍野村の区域をもって南都留郡に忍野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年7月1日明治22年忍野村と中野村が組合村をつくった。種類:その他 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。