今の山中湖村
山梨県の南東部、富士五湖の一つの山中湖を中心に広がる村で、南都留郡に属します。南西には富士山が見え、裾野に梨ヶ原高原があります。標高が高く、冬の冷え込みが厳しい気候です。湖の北岸や南岸には別荘地が広がり、キャンプ場や文学館など、県内でも有数の観光の村になっています。国の天然記念物の山中のハリモミ純林や、湖に育つフジマリモも知られます。
今の山中湖村の区域の人口は、2020年の国勢調査で5,179人です。今の区域で数えた1980年の4,637人とくらべると11.7%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は33.6%です。
主な産業:観光業(別荘地・キャンプ場・湖での遊びや釣り)
特産品・名産
- ワカサギ山中湖で獲れる冬の名物
- フジマリモ山中湖に育つ。天然記念物
見どころ・祭り
- 山中湖富士五湖の一つ。村の中心にある湖
- 山中のハリモミ純林国の天然記念物
- 花の都公園村内にある公園
- 山中湖文学の森公園三島由紀夫文学館や徳富蘇峰館がある
木イチイ花サンショウバラ鳥白鳥山中湖村の木・花・鳥
山中湖村のなりたち
山中湖村(やまなかこむら)は、山梨県富士・東部地域の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに中野村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は南都留郡に属していました。
「山中湖村」という名前
今の村名は、1965年(昭和40年)1月1日に中野村から改めたもので、村の中心にある山中湖と同じ名です。それまでの中野村は、1875年(明治8年)1月に山中村と平野村がまとまってできた村で、二つの村の名から一字ずつとった名とみられます。「山中」という地名そのものの語源は、はっきりしていません。
まちの成り立ち
山中湖のあたりは古代から甲斐と駿河、相模をつなぐ道が通り、中世には鎌倉往還と呼ばれて交通の要衝でした。戦国時代には北条氏が甲斐へ攻め入る際の道筋にもなっています。江戸時代は谷村藩領を経て幕府の直轄領となり、耕地が少ないため、山稼ぎや街道沿いの荷物運び、養蚕や郡内織などで暮らしを立てていました。1875年(明治8年)1月、都留郡の山中村と平野村がまとまって中野村が発足します。1878年(明治11年)12月19日には南都留郡に属することになり、1889年(明治22年)7月1日の町村制の施行で、改めて中野村が発足しました。明治時代にはじゃがいもやとうもろこしの栽培、織物などが取り入れられ、戦後は観光に力を入れるようになります。1965年(昭和40年)1月1日、中野村は山中湖村に改称しました。ほかの市町村とは合併しておらず、湖の北岸や南岸に別荘地が広がる、県内有数の観光の村になっています。1957年(昭和32年)には、昭和天皇と香淳皇后が村内の国有林を視察しています。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、南都留郡に中野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1965年1月1日昭和40年中野村が改称し、山中湖村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。