今のつるぎ町
徳島県の西部、吉野川の南側にある山あいの町です。南には西日本第2の高峰の剣山があり、四国一のトチノキをはじめ巨樹が多く、「巨樹王国」と呼ばれます。傾斜の急な畑で行われる農耕は世界農業遺産に認定されました。半田素麺やゆず、ほし柿が名産で、うだつの町並みや滝などの景勝地もあります。町内には貞光川などの清流が流れます。
今のつるぎ町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,715人です。今の区域で数えた1980年の18,857人とくらべると59.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は46.6%です。
主な産業:急傾斜地の農耕と、半田素麺づくりが中心です。
特産品・名産
- 半田素麺町の名産として挙げられる
- ゆず町の名産として挙げられる
- ほし柿町の名産として挙げられる
見どころ・祭り
- 二層うだつの町並み一宇街道沿いの町並み。四国八十八景に選ばれる
- 土釜町内の滝
- 剣山木綿麻温泉町内の温泉
- 一宇峡町内の渓谷
木エノキ花水仙鳥ヤマガラつるぎ町の木・花・鳥
つるぎ町のなりたち
つるぎ町(つるぎちょう)は、徳島県西部の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。端山村・八千代村・貞光町・半田町・一宇村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今のつるぎ町になりました。
今の名前「つるぎ町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の一宇村が約95km²だったのに対し、今のつるぎ町は約190km²と、およそ2.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は美馬郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧貞光町の区域には貞光駅(徳島線)があります。
「つるぎ町」という名前
町は2005年(平成17年)3月1日に、半田町・貞光町・一宇村の3町村が新設合併して生まれ、町名はひらがなの「つるぎ」となりました。町の南には剣山がそびえます。同じ日に定めた町章は「つ」の字をかたどり、青は清流と青空、緑は自然、白地は剣山を表しています。
まちの成り立ち
つるぎ町は、吉野川の南側にあり、南には剣山の山々が連なります。1889年(明治22年)10月1日の町村制で、美馬郡に半田村、半田奥山村、一宇村、端山村、貞光村が発足しました。貞光村は1907年(明治40年)に町制を施行して貞光町となりました。半田村は1916年(大正5年)に町制を施行して半田町となり、半田奥山村は1917年(大正6年)に名を八千代村と改めました。1956年(昭和31年)9月30日に、貞光町と端山村が合わさって改めて貞光町が、半田町と八千代村が合わさって改めて半田町が発足しました。2005年(平成17年)3月1日、半田町・貞光町・一宇村が新設合併し、つるぎ町が誕生しました。町には巨樹が多く、「巨樹王国」を自称しています。急な斜面でカヤを使う独特の農耕が続けられ、2018年には「にし阿波の傾斜地農耕システム」が世界農業遺産に認定されました。半田素麺やゆず、ほし柿が名産です。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、美馬郡に半田村・半田奥山村・端山村・貞光村・一宇村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
- 1907年11月1日明治40年美馬郡貞光村が町制を施行して貞光町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
- 1916年11月3日大正5年美馬郡半田村が町制を施行して半田町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
- 1917年7月4日大正6年美馬郡半田奥山村が八千代村に改称した。種類:改称 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
- 1934年6月1日昭和9年美馬郡半田町の一部が重清村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年美馬郡の貞光町と端山村が合併し、改めて貞光町が発足した。同じ日に半田町と八千代村が合併し、改めて半田町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
- 2005年3月1日平成17年美馬郡の半田町・貞光町・一宇村が合併してつるぎ町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。