今の市貝町
栃木県南東部にあり、宇都宮市の東側に位置するまちです。南部には伊許山や多田羅沼、北部には芝ざくら公園などがあり、丘陵と水辺の自然が見られます。真岡鐵道が町を通り、市塙や多田羅などの地域を結んでいます。旧市羽村と旧小貝村を合わせた町で、南部には工業団地、北部には農村の景観があります。入野家住宅などの史跡や武者絵資料館もあり、地域の暮らしと文化を伝えています。
今の市貝町の区域の人口は、2020年の国勢調査で11,262人です。今の区域で数えた1980年の10,459人とくらべると7.7%ふえ、人口は1995年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は29.7%です。
主な産業:米や野菜、畜産などの農業と、南部の赤羽工業団地での製造業が盛んです。
特産品・名産
- 米里地里山に囲まれた田で作る農産物
- トマト町内で栽培される特産の野菜
- アスパラガス町内で栽培される農産物
見どころ・祭り
- 芝ざくら公園春に芝ざくらが咲く公園
- 入野家住宅主屋と表門が国の重要文化財
- 観音山梅の里地元の人々が育てる梅の名所
市貝町のなりたち
市貝町(いちかいまち)は、栃木県県東地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。小貝村・市羽村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の市貝町になりました。
今の名前「市貝町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の小貝村が約33km²だったのに対し、今の市貝町は約65km²と、およそ2.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は芳賀郡に属していました。
「市貝町」という名前
「市貝」は、市羽村と小貝村から一文字ずつ採った名前です。1954年に二つの村が新設合併したとき、市貝村が生まれました。市羽という旧村名も、市塙と赤羽の名を組み合わせたものとされています。1972年の町制施行では村名を受け継ぎ、市貝町となりました。旧村名の両方を残した地名で、現在の町が二つの村から成り立つことを伝えています。旧市羽村の南部には赤羽工業団地があり、旧小貝村の北部には谷津田が広がっています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制で、芳賀郡に市羽村と小貝村が発足しました。市羽村は市塙、赤羽、上根、多田羅、石下、笹原田などの集落をまとめた村です。小貝村は町の北側の集落から成り立ち、二つの村が現在の町域の前身となりました。
1954年5月3日、市羽村と小貝村が新設合併し、市貝村が発足しました。村名は二つの旧村から一文字ずつ採っています。合併前の一方の村名だけを引き継ぐのではなく、両方の名前を残したものです。1972年1月1日には町制を施行し、市貝町となりました。村の誕生から18年後に、町として出発しました。
町制の年には市羽中学校と小貝中学校を名目上統合し、市貝中学校としました。その後に学校の施設もまとめられ、二つの村のまとまりが暮らしの仕組みにも表れました。南部には赤羽工業団地があり、北部には農村と自然の景観が広がっています。平成の大合併では別の自治体と合併せず、町の形を引き継いでいます。市塙、赤羽、小貝などの名前は、現在も町内の地区や学校の名に使われています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、芳賀郡の市羽村、小貝村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
- 1954年5月3日昭和29年市羽村、小貝村が新設合併し、市貝村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
- 1972年1月1日昭和47年市貝村が町制を施行し、市貝町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.pref.tochigi.lg.jp/c04/pref/toukei/toukei/documents/1_gyouseikukaku_70_2.xls
- www.pref.tochigi.lg.jp/a02/pref/shichouson/sonota/documents/h26gappeihensen.pdf
- www.town.ichikai.tochigi.jp/Info/133
- www.town.ichikai.tochigi.jp/info/130
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B8%82%E8%B2%9D%E7%94%BA&action=raw