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高根沢町たかねざわまち

1920年には3の町村だった区域が、1回の合併・編入を経て、今の高根沢町になりました。

3町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の高根沢町

鬼怒川沿いの地域と、東側の丘陵・田園を合わせ持つ町です。米や麦、いちご、梨などが生産され、宮内庁御料牧場もあります。宝積寺駅舎やちょっ蔵広場、鬼怒グリーンパークが町の景観を形づくります。阿久津町と北高根沢村の新設合併で生まれ、熟田村の一部も町域に加わっています。町の花はあやめ、木はいちょう、鳥はひばりです。東部には道の駅たかねざわ元気あっぷむらがあります。

今の高根沢町の区域の人口は、2020年の国勢調査で29,229人です。今の区域で数えた1980年の22,765人とくらべると28.4%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は25.7%です。

29,229人人口(2020年)
+28.4%1980年からの増減
71.3km²面積(概算)
410人/km²人口密度
25.7%65歳以上の割合
30,9151980199020052020
15歳未満 12.0%15〜64歳 62.3%65歳以上 25.7%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:米や麦、いちご、梨などを栽培し、農産物を生かした食品づくりも行われています。

特産品・名産

  • とちぎの星町の特産品として紹介される米。
  • いちご「とちあいか」町内で生産されるいちご。
  • きんとんまんじゅう町の特産品として紹介される菓子。

見どころ・祭り

  • 宝積寺駅舎・ちょっ蔵広場隈研吾が設計に関わった駅周辺の建築。
  • 鬼怒グリーンパーク鬼怒川沿いに季節の花が咲く公園。
  • 道の駅たかねざわ元気あっぷむら町の東部丘陵にある交流施設。

木いちょう花あやめ鳥ひばり高根沢町の木・花・鳥

高根沢町のなりたち

高根沢町(たかねざわまち)は、栃木県県央地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。熟田村・阿久津村・北高根沢村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の高根沢町になりました。

今の名前「高根沢町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の北高根沢村が約40km²だったのに対し、今の高根沢町は約71km²と、およそ1.8倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は塩谷郡に属していました。

31920年の町村の数
1回合併・編入の回数
71km²今の面積
1958年いちばん新しい合併

「高根沢町」という名前

高根沢町の名は、1958年に阿久津町と北高根沢村が新設合併した際に用いられました。高根沢の地名には、高原山のすそ野にある沢を意味するという説と、この地方を治めた高根沢氏にちなむという説があります。どちらも古い地名を説明する説として伝わっています。北高根沢村は明治の町村制で発足した自治体で、太田や上高根沢などの地域を含んでいました。合併後の新町は「北」を外した高根沢を名乗り、阿久津側の地域も合わせた町域の名前となりました。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)の町村制で、塩谷郡に阿久津村と北高根沢村が発足しました。後に現在の町域に加わる地域には熟田村もありました。阿久津村は上阿久津・宝積寺・大谷・中阿久津・石末の集落がまとまった村で、北高根沢村には太田や上高根沢などが含まれていました。

1953年4月1日、阿久津村が町制を施行しました。1954年3月31日、熟田村は廃止され、飯室・文挾・伏久は北高根沢村、残る地域は氏家町へ編入されます。1958年4月1日には阿久津町と北高根沢村を廃し、新しい高根沢町が誕生しました。翌年に上阿久津地区が氏家町へ移り、その後も隣接地域との境界変更がありました。

町の西側には鬼怒川が流れ、東側には八溝山系の丘陵が連なります。田園では米のほか、麦や大豆、いちご、ぶどう、梨などが生産されています。町内に宮内庁御料牧場があり、食と農業に結び付いた地域の歩みが続いています。

宝積寺駅舎やちょっ蔵広場は隈研吾が設計に関わった建築です。鬼怒グリーンパークには季節の花が咲き、東部には道の駅たかねざわ元気あっぷむらがあります。町の花はあやめ、木はいちょう、鳥はひばりで、田園や河原の景観にも親しまれています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年塩谷郡に阿久津村・北高根沢村・熟田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1953年4月1日昭和28年阿久津村が町制を施行し、阿久津町となった。種類:町制施行 出典:www.town.takanezawa.tochigi.jp
  3. 1954年3月31日昭和29年熟田村が廃止され、飯室・文挾・伏久は北高根沢村、残部は氏家町に編入された。種類:分割 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  4. 1958年4月1日昭和33年阿久津町と北高根沢村が合併し、高根沢町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  5. 1959年3月24日昭和34年高根沢町の上阿久津地区が氏家町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  6. 1960年4月1日昭和35年芳賀町の下高根沢字鷲野谷地区が高根沢町に編入された。種類:一部編入 出典:www.town.takanezawa.tochigi.jp
  7. 1960年4月1日昭和35年高根沢町の伏久山中地区が氏家町に編入された。種類:一部編入 出典:www.town.takanezawa.tochigi.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

高根沢町1958〜今
阿久津村→阿久津町1889〜1958
北高根沢村1889〜1958
熟田村1889〜1954

参考にした資料