今の下田市
伊豆半島の南部、下田湾に面した港町です。市の南には須崎半島や白浜の海岸が続き、北には寝姿山が港を見下ろします。稲生沢川が下田湾に注ぎます。幕末にはペリーの艦隊が訪れ、日米和親条約や開国をめぐる史跡が数多く残ります。観光が主な産業で、海水浴やダイビング、温泉、キンメダイなどの海の幸を目当てに多くの人が訪れます。
今の下田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で20,183人です。今の区域で数えた1980年の31,007人とくらべると34.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は42.5%です。
主な産業:海水浴・温泉・開国の史跡などの観光と、キンメダイなどの水産業が中心です。
特産品・名産
- キンメダイ下田魚市場で水揚げの多い魚
- イセエビ市内で水揚げされる海産物
- テングサ市内で水揚げされる海藻
見どころ・祭り
- ペリーロードなまこ壁や伊豆石の家が残る川沿いの道
- 寝姿山・下田ロープウェイ港を見下ろす山
- 爪木崎須崎半島の岬。1月に水仙まつり
- 龍宮窟田牛にある海食洞
- 下田公園あじさい祭の会場
木オオシマザクラ花アジサイ下田市の木・花
下田市のなりたち
下田市(しもだし)は、静岡県伊豆地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。稲梓村・白浜村・稲生沢村・朝日村・浜崎村・下田町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の下田市になりました。
今の名前「下田市」は、1920年にあった下田町の名前を受け継いでいます。ほかの5の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の下田町が約3km²だったのに対し、今の下田市は約103km²と、およそ36.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は賀茂郡に属していました。
「下田市」という名前
「下田」という地名の由来ははっきりしていません。地名が確かめられる最も古い例は、1399年(応永6年)に下田若宮八幡宮(今の下田八幡神社)へ納められた鰐口で、市の文化財になっています。江戸時代には船の出入りでにぎわう港町となり、1854年(嘉永7年)の日米和親条約で箱館とともに開港しました。1889年の町村制で下田町となり、合併後の町、そして市もこの名を引き継いでいます。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の市域には賀茂郡の下田町と稲梓村・稲生沢村・浜崎村・朝日村ができました。下田町は町村制の前からの下田町がそのまま一つの町になったもので、稲梓村は箕作・須原・落合など11か村、稲生沢村は蓮台寺・本郷など6か村、浜崎村は柿崎・須崎・白浜の3か村、朝日村は吉佐美・大賀茂・田牛の3か村をまとめた村でした。1896年(明治29年)8月20日には浜崎村から白浜村が分かれています。下田は江戸時代から船でにぎわった港町で、1854年に日米和親条約で開港地の一つになりました。昭和の大合併では、1955年(昭和30年)3月31日に下田町・浜崎村・白浜村・稲梓村・稲生沢村・朝日村の6町村が合併し、改めて下田町が発足しました。港の町と、内陸の農山村、白浜の海岸が一つの町になっています。1971年(昭和46年)1月1日に市制を施行して下田市となり、県内で19番目の市になりました。平成に入ると、2008年に松崎町・河津町・南伊豆町と合併協議会を設けましたが、2009年に南伊豆町と松崎町の議会で合併関連の議案が否決され、合併は実現しませんでした。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、賀茂郡に下田町・稲梓村・稲生沢村・浜崎村・朝日村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年8月20日明治29年賀茂郡浜崎村から白浜村が分かれて発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年賀茂郡の下田町・稲梓村・稲生沢村・白浜村・浜崎村・朝日村が合併し、改めて下田町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1971年1月1日昭和46年賀茂郡下田町が市制を施行して下田市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。