今の草津市
滋賀県の南部、琵琶湖の南東岸に位置する市です。東海道と中山道の分岐にあった草津宿の本陣や街道沿いの町並みが残っています。草津駅と南草津駅の周辺には商業施設や住宅、大学が集まり、丘陵部には工業団地もあります。湖岸の平地では米や野菜、草津メロンを栽培し、アオバナから作る青花紙も受け継がれています。湖と歴史ある街道が、まちの暮らしをつないでいます。
今の草津市の区域の人口は、2020年の国勢調査で143,913人です。今の区域で数えた1980年の77,012人とくらべると86.9%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は22.1%です。
主な産業:工業団地に製造業が集まり、駅周辺の商業と湖岸の米・野菜・メロン栽培が盛んです。
特産品・名産
- 草津メロン1982年から栽培される地域のメロン
- 青花紙アオバナの汁を使う友禅染の下絵用紙
- うばがもち宿場で受け継がれるあんの餅菓子
見どころ・祭り
- 草津宿本陣大名や公家が休泊した国指定史跡
- 芦浦観音寺跡湖上交通と関わった国指定史跡
- 野路小野山製鉄遺跡古代の製鉄を伝える国指定史跡
木キンモクセイ花アオバナ草津市の木・花
草津市のなりたち
草津市(くさつし)は、滋賀県南部地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。常盤村・笠縫村・山田村・志津村・老上村・草津町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の草津市になりました。
今の名前「草津市」は、1920年にあった草津町の名前を受け継いでいます。ほかの5の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の草津町が約4km²だったのに対し、今の草津市は約67km²と、およそ14.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は栗太郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、栗太郡は2001年(平成13年)10月1日に廃止されました。
「草津市」という名前
「草津」は、中世から使われてきた地名です。1422年の記録には、将軍足利義持の伊勢参宮に際して「草津御所」を造営したことが記されています。内陸の土地が「津」と呼ばれた理由は明らかになっていません。近代の草津村・草津町もこの名を受け継ぎ、1954年に六町村が合併した際に草津市の名前となりました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で、栗太郡に草津村・志津村・常盤村・笠縫村・山田村・老上村が発足しました。草津村は1895年6月22日に町制を施行し、草津町となりました。
草津は、東海道と中山道が分かれる宿場町として発展した土地です。大名や公家が休泊した草津宿本陣が残り、街道に沿った町並みが当時の往来を伝えています。周辺の村々では米や野菜づくりが行われ、アオバナの花びらから作る青花紙も、友禅染の下絵に用いる名産品として受け継がれました。
1954年(昭和29年)10月15日、草津町と志津村・常盤村・笠縫村・山田村・老上村が新設合併し、草津市が発足しました。1956年9月30日には、栗東町の大字渋川を編入しました。宿場を中心とする市街地と、琵琶湖岸の農村、南東部の丘陵が一つの市にまとまりました。
昭和30年代からは工業化が進み、名神高速道路の開通と同じ時期に野路の丘陵部で工業団地の開発が行われました。1994年にはJR南草津駅が開業し、駅周辺に新しい市街地が育ちました。歴史ある宿場の街並み、工業や商業の拠点、湖岸の農地が共存するまちとなっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、栗太郡に草津村・志津村・常盤村・笠縫村・山田村・老上村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.shiga.lg.jp
- 1895年6月22日明治28年栗太郡草津村が町制を施行し、草津町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.shiga.lg.jp
- 1954年10月15日昭和29年栗太郡草津町・志津村・常盤村・笠縫村・山田村・老上村が合併し、草津市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.shiga.lg.jp
- 1956年9月30日昭和31年栗太郡栗東町の大字渋川を草津市に編入した。種類:編入 出典:www.pref.shiga.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。