今の栗東市
滋賀県南部に位置し、北部の平地と、金勝山を中心とする南部の山地からなるまちです。東海道と中山道の通る地域に、現在は鉄道や高速道路が集まっています。栗東インターチェンジを軸に製造業や流通業が発展し、京阪神への通勤圏として住宅地も広がりました。競走馬を育成する栗東トレーニング・センターがあり、馬のまちとして知られています。山あいでは農業が営まれ、寺社や旧街道の歴史も受け継がれています。
今の栗東市の区域の人口は、2020年の国勢調査で68,820人です。今の区域で数えた1980年の37,033人とくらべると85.8%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は19.2%です。
主な産業:交通の利便性を生かした製造業・商業・流通業が発展し、農業や競走馬関連産業も営まれています。
特産品・名産
- 栗東いちじく市内のハウスで栽培される特産果実
- こんぜ清流米市内で生産される地域の米
- 水菜市内で生産される葉物野菜
見どころ・祭り
- 金勝寺金勝山の山中にある寺院
- 旧和中散本舗東海道沿いに残る薬屋の史跡
- 大宝神社綣に鎮座する神社
木カイヅカイブキ花キンセンカ鳥メジロ栗東市の木・花・鳥
栗東市のなりたち
栗東市(りっとうし)は、滋賀県南部地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。葉山村・大宝村・治田村・金勝村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の栗東市になりました。
今の名前「栗東市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の金勝村が約28km²だったのに対し、今の栗東市は約52km²と、およそ1.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は栗太郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、栗太郡は2001年(平成13年)10月1日に廃止されました。
「栗東市」という名前
栗東の名は、栗太郡の東側に位置することに由来します。1954年に治田・金勝・葉山・大宝の4村が合併した際、栗東町の名が採用されました。これに先立ち、1948年には4村の組合立の栗東中学校が開校しています。地域の結びつきを示す名が、学校から町へ、さらに2001年の市制施行によって市名へと受け継がれました。
まちの成り立ち
1889年の町村制により、栗太郡に治田村・金勝村・葉山村・大宝村が発足しました。治田村の名称は治田庄、金勝村は金勝寺や金勝庄、葉山村は葉山川、大宝村は大宝神社に由来します。村の区域を決める際には、農業用水のつながりや神社の氏子のまとまりも重視されました。
4村は1920年に共同で鉄道駅の設置を求め、1922年には草津線の手原駅が開業しました。1948年には組合立の栗東中学校が開校し、翌年に新校舎へ統合されました。1954年10月1日、4村の新設合併によって栗東町が生まれました。当初は坊袋の旧治田村役場を町役場とし、ほかの旧村役場を支所として使いました。1957年には安養寺に町役場が移りました。
1956年9月30日には大字渋川が草津市へ移りました。1963年の名神高速道路と栗東インターチェンジの開通は、企業立地と住宅開発の大きな契機になりました。1969年には栗東トレーニング・センターが開場しました。1991年には東海道本線の栗東駅が開業し、2001年10月1日に栗東町が市制を施行して栗東市となりました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制により、栗太郡に治田村・金勝村・葉山村・大宝村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.shiga.lg.jp
- 1954年10月1日昭和29年治田村・金勝村・葉山村・大宝村が合併し、栗太郡栗東町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.shiga.lg.jp
- 1956年9月30日昭和31年栗東町の大字渋川が草津市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.shiga.lg.jp
- 2001年10月1日平成13年栗東町が市制を施行し、栗東市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.shiga.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。