今の湖南市
滋賀県南部の野洲川沿いに位置するまちです。南側の阿星山系と北側の岩根山系の間に平地が広がり、国道1号やJR草津線が通っています。湖南工業団地を中心に工業が発展し、旧東海道の石部宿や農村の風景も残っています。長寿寺・常楽寺・善水寺の湖南三山には国宝の建築があり、平松には国の天然記念物のウツクシマツ自生地があります。下田なすや弥平とうがらしなど、地区に伝わる野菜も育てられています。
今の湖南市の区域の人口は、2020年の国勢調査で54,460人です。今の区域で数えた1980年の32,729人とくらべると66.4%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は25.0%です。
主な産業:湖南工業団地を中心とする製造業が発展し、農業や歴史・自然を生かした観光も営まれています。
特産品・名産
- 下田なす下田地区に伝わる伝統野菜
- 弥平とうがらし鮮やかなオレンジ色の伝統の唐辛子
- 東寺のごぼう東寺地区で受け継がれる伝統野菜
見どころ・祭り
- 長寿寺湖南三山の一つで国宝の本堂がある
- 常楽寺湖南三山の一つで国宝建築が残る
- 善水寺湖南三山の一つで国宝の本堂がある
- 平松のウツクシマツ自生地独特な樹形の松が自生する天然記念物
木ウツクシマツ花サツキ鳥ウグイス湖南市の木・花・鳥
湖南市のなりたち
湖南市(こなんし)は、滋賀県甲賀地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。岩根村・三雲村・下田村・石部町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の湖南市になりました。
今の名前「湖南市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の三雲村が約27km²だったのに対し、今の湖南市は約70km²と、およそ2.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は甲賀郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、甲賀郡は2004年(平成16年)10月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧三雲村の区域には三雲駅(草津線)があります。旧石部町の区域には石部駅(草津線)があります。
「湖南市」という名前
湖南市という名は、2004年に石部町と甲西町が合併して誕生した市の名称です。旧石部町は東海道の石部宿を中心とする地域、旧甲西町は三雲村・岩根村を起点に下田村を加えた地域でした。新しい市名のもとで、石部・三雲・岩根・下田などの地名は、駅や地区の名称として受け継がれています。
まちの成り立ち
1889年の町村制により、甲賀郡に石部村・三雲村・岩根村・下田村が発足しました。東海道の宿場があった石部村は、1903年6月1日に町制を施行し、石部町となりました。石部は草津線の駅がある交通の拠点としても歩んできました。
1955年4月1日には三雲村と岩根村が新設合併し、甲西町が生まれました。1958年10月1日には下田村が甲西町へ編入されました。旧甲西町では、1961年に湖南工業団地の誘致が決まり、1968年に造成工事が完成しました。工業団地の整備と住宅地の開発により、農村の地域は工業と暮らしの場が重なるまちへ変わっていきました。
2004年10月1日、石部町と甲西町が新設合併し、湖南市が発足しました。東西に流れる野洲川の流域で、二つの町の歩みが一つになりました。旧石部町と旧甲西町の役場のある地区には、現在も市の西庁舎と東庁舎が置かれています。市内には長寿寺・常楽寺・善水寺の国宝建築が残り、湖南三山として親しまれています。平松のウツクシマツ自生地や三雲城跡も、地域の歴史と自然を伝えています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制により、甲賀郡に石部村・三雲村・岩根村・下田村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.shiga.lg.jp
- 1903年6月1日明治36年石部村が町制を施行し、甲賀郡石部町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.shiga.lg.jp
- 1955年4月1日昭和30年三雲村と岩根村が合併し、甲賀郡甲西町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.shiga.lg.jp
- 1958年10月1日昭和33年下田村が甲西町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.shiga.lg.jp
- 2004年10月1日平成16年石部町と甲西町が合併し、湖南市が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.shiga.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。