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三芳町みよしまち

三芳町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の三芳町

埼玉県南西部、武蔵野台地に位置する町です。大部分は台地で、柳瀬川沿いには低地があります。上富の三富新田には、耕地と平地林を組み合わせた地割の歴史が残ります。サツマイモの栽培で知られる一方、住宅地や商工業・物流の施設も立地しています。農地と都市近郊の市街地が共存し、町の木にケヤキ、花にキク、鳥にヒバリを定めています。

今の三芳町の区域の人口は、2020年の国勢調査で38,434人です。今の区域で数えた1980年の28,978人とくらべると32.6%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は30.1%です。

38,434人人口(2020年)
+32.6%1980年からの増減
15.33km²面積(国土地理院)
2,507人/km²人口密度
30.1%65歳以上の割合
38,7061980199020052020
15歳未満 12.1%15〜64歳 57.9%65歳以上 30.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:富の川越いもや狭山茶、季節の野菜の栽培が営まれています。

特産品・名産

  • 富の川越いも上富地区で栽培されるサツマイモ
  • 狭山茶町内で生産される茶
  • みよしなたね油三芳産の菜種を搾った油

見どころ・祭り

  • 旧島田家住宅三富新田の歴史を伝える移築民家
  • 多福寺三富新田の開拓農家の菩提寺
  • 三芳町立歴史民俗資料館武蔵野の開拓と暮らしを伝える施設

木ケヤキ花キク鳥ヒバリ三芳町の木・花・鳥

三芳町のなりたち

三芳町(みよしまち)は、埼玉県南西部地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに三芳村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は入間郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
15km²今の面積

「三芳町」という名前

三芳の名は、平安時代の『伊勢物語』に登場する「みよし野の里」にちなみます。1889年の町村合併に備え、周辺では複数の新しい村が三芳野という名を希望しました。郡役所の調整により、三芳野村・芳野村・三芳村の三つの名が使われることになりました。現在の三芳町は、その三芳村の名を受け継いでいます。

まちの成り立ち

1889年4月1日、町村制の施行により、入間郡の上富村、藤久保村、竹間沢村、北永井村が合併し、三芳村が発足しました。四つの旧村の土地が、一つの自治体にまとまった出発点です。村名は古典にちなむ三芳となり、旧村名は町内の地域の呼び名として受け継がれています。

上富には、江戸時代に開発された三富新田の歴史があります。家の敷地、耕地、平地林を組み合わせた地割がつくられ、農業を営む土地の形が整えられました。平地林と畑が隣り合う景観は、武蔵野台地に暮らしてきた人々の仕事を伝えます。サツマイモの栽培も広まり、富のいもとして知られるようになりました。

昭和40年代からは、住宅地が増え、都市近郊のまちとして変化しました。商工業や物流に関わる施設も立地し、農地のある地域と市街地が共に町の姿をつくっています。1970年11月3日、三芳村は町制を施行して三芳町となりました。これは他の町村との合併ではなく、村から町への移行です。

明治に合わさった四村を基礎に、現在まで三芳の名が続いています。三富新田の農業の歴史と、首都圏の住宅や産業を支える役割が重なるまちです。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年入間郡上富村、藤久保村、竹間沢村、北永井村が合併し、三芳村が発足した。種類:町村制 出典:www.town.saitama-miyoshi.lg.jp
  2. 1970年11月3日昭和45年三芳村が町制を施行して三芳町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.saitama.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

三芳村→三芳町1889〜今

参考にした資料