今の三芳町
埼玉県南西部、武蔵野台地に位置する町です。大部分は台地で、柳瀬川沿いには低地があります。上富の三富新田には、耕地と平地林を組み合わせた地割の歴史が残ります。サツマイモの栽培で知られる一方、住宅地や商工業・物流の施設も立地しています。農地と都市近郊の市街地が共存し、町の木にケヤキ、花にキク、鳥にヒバリを定めています。
今の三芳町の区域の人口は、2020年の国勢調査で38,434人です。今の区域で数えた1980年の28,978人とくらべると32.6%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は30.1%です。
主な産業:富の川越いもや狭山茶、季節の野菜の栽培が営まれています。
特産品・名産
- 富の川越いも上富地区で栽培されるサツマイモ
- 狭山茶町内で生産される茶
- みよしなたね油三芳産の菜種を搾った油
見どころ・祭り
- 旧島田家住宅三富新田の歴史を伝える移築民家
- 多福寺三富新田の開拓農家の菩提寺
- 三芳町立歴史民俗資料館武蔵野の開拓と暮らしを伝える施設
木ケヤキ花キク鳥ヒバリ三芳町の木・花・鳥
三芳町のなりたち
三芳町(みよしまち)は、埼玉県南西部地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに三芳村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は入間郡に属していました。
「三芳町」という名前
三芳の名は、平安時代の『伊勢物語』に登場する「みよし野の里」にちなみます。1889年の町村合併に備え、周辺では複数の新しい村が三芳野という名を希望しました。郡役所の調整により、三芳野村・芳野村・三芳村の三つの名が使われることになりました。現在の三芳町は、その三芳村の名を受け継いでいます。
まちの成り立ち
1889年4月1日、町村制の施行により、入間郡の上富村、藤久保村、竹間沢村、北永井村が合併し、三芳村が発足しました。四つの旧村の土地が、一つの自治体にまとまった出発点です。村名は古典にちなむ三芳となり、旧村名は町内の地域の呼び名として受け継がれています。
上富には、江戸時代に開発された三富新田の歴史があります。家の敷地、耕地、平地林を組み合わせた地割がつくられ、農業を営む土地の形が整えられました。平地林と畑が隣り合う景観は、武蔵野台地に暮らしてきた人々の仕事を伝えます。サツマイモの栽培も広まり、富のいもとして知られるようになりました。
昭和40年代からは、住宅地が増え、都市近郊のまちとして変化しました。商工業や物流に関わる施設も立地し、農地のある地域と市街地が共に町の姿をつくっています。1970年11月3日、三芳村は町制を施行して三芳町となりました。これは他の町村との合併ではなく、村から町への移行です。
明治に合わさった四村を基礎に、現在まで三芳の名が続いています。三富新田の農業の歴史と、首都圏の住宅や産業を支える役割が重なるまちです。
年表
- 1889年4月1日明治22年入間郡上富村、藤久保村、竹間沢村、北永井村が合併し、三芳村が発足した。種類:町村制 出典:www.town.saitama-miyoshi.lg.jp
- 1970年11月3日昭和45年三芳村が町制を施行して三芳町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.saitama.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。