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天川村てんかわむら

天川村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の天川村

奈良県南部、大峯の山々と深い谷に囲まれた村です。天ノ川などの清流が流れ、洞川は山上ヶ岳へ向かう参詣客を迎える宿場として発達しました。山岳信仰を伝える寺社に加え、みたらい渓谷や鍾乳洞、洞川湧水群などの自然が身近にあります。高地の涼しい夏や雪の積もる冬も村の特徴です。名水を使う豆腐づくり、陀羅尼助の製造、温泉と山歩きの観光が暮らしにつながっています。

今の天川村の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,176人です。今の区域で数えた1980年の3,207人とくらべると63.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は50.9%です。

1,176人人口(2020年)
−63.3%1980年からの増減
175.66km²面積(国土地理院)
7人/km²人口密度
50.9%65歳以上の割合
3,2071980199020052020
15歳未満 8.2%15〜64歳 41.0%65歳以上 50.9%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:宿泊や温泉などの観光、林業、豆腐と陀羅尼助の製造が行われています。

特産品・名産

  • 名水豆腐洞川などの名水を使う豆腐
  • 大峯山陀羅尼助丸大峯の修験道に伝わる和漢胃腸薬
  • 朴の葉寿司朴の葉で包む山里の寿司

見どころ・祭り

  • みたらい渓谷滝と渓流をたどる渓谷
  • 面不動鍾乳洞洞川地区にある鍾乳洞
  • ごろごろ水洞川湧水群の名水
  • 天河大辨財天社弁財天を祀る神社

木すぎ花オオヤマレンゲ鳥こまどり天川村の木・花・鳥

天川村のなりたち

天川村(てんかわむら)は、奈良県南東部地域の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに天川村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の時点で、この区域の町村は吉野郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
176km²今の面積

「天川村」という名前

「天川」には、高天原にちなむ「天の川」の名をこの地方の谷につけたという伝承があります。天河の神社や弥山の信仰とともに、天ノ川という河川名が生まれたとされています。天河大辨財天社には「天の安河」を地名の由来とする伝えもあります。1889年、天川郷と三名郷をまとめて天川村が発足しました。川と山の信仰に結びついた天川の名が、現在の村名として続いています。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)4月1日の町村制により、吉野郡天川村が発足しました。旧天川郷と三名郷の区域をまとめた村で、洞川・川合・沢谷・坪内・栃尾・和田などの集落が一つになりました。それまで江戸幕府の直轄地だった天川の村々は、矢竹などの山の資源を納める地域でもありました。

村を形づくってきたのは、大峯の山岳信仰と天河の社への信仰です。役行者による大峯開山の伝承があり、山上ヶ岳へ向かう人々が洞川などを訪れてきました。南北朝時代には南朝を支え、村には天皇や皇族の綸旨・令旨も残っています。山深い土地の集落は、参詣の道や川沿いの往来で結ばれていました。

村が発足した年には豪雨の被害を受け、その後も道や学校、診療所などを整えてきました。1950年には洞川と阪本を結ぶ県道が全線開通し、1952年には天川中学校が開校しました。山間の各地域を結ぶ交通と、子どもたちの学びの場が整えられていきました。

1936年には吉野熊野国立公園に指定され、2004年には大峯奥駈道などが世界遺産に登録されました。洞川湧水群の水を使う豆腐づくりや陀羅尼助の製造も続き、参詣の歴史と自然を生かした仕事が今の村に受け継がれています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制により、洞川村・北角村・南角村・中越村・川合村・沖金村・沢谷村・中谷村・沢原村・北小原村・南日裏村・坪内村・五色村・九尾村・栃尾村・和田村・籠山村・庵住村・山西村・広瀬村・滝尾村・塩野村・辰巳屋新田・塩谷村の区域に吉野郡天川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1936年天川村の区域が吉野熊野国立公園に指定された。種類:その他 出典:www.pref.nara.lg.jp
  3. 2004年天川村を通る大峯奥駈道などが「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として世界遺産に登録された。種類:その他 出典:www.pref.nara.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

天川村1889〜今

参考にした資料