今の御浜町
三重県南部、東紀州地域にある町です。北部と西部に山地があり、東部の熊野灘沿いには平らな低地が広がります。海岸は玉砂利の七里御浜で、吉野熊野国立公園に指定されています。温暖な気候を生かした柑橘の栽培が盛んで、「年中みかんのとれる町」と呼ばれます。
今の御浜町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,079人です。今の区域で数えた1980年の10,544人とくらべると23.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.9%です。
主な産業:みかんなど柑橘の栽培が盛んです。マイヤーレモンの主要産地で、紀宝町と合わせて国内生産量の約9割を占めるとされます。
特産品・名産
- みかん9月の極早生温州から始まり、一年を通して柑橘が出荷される
- マイヤーレモン紀宝町と合わせて国内生産量の約9割を占めるとされる
- 伊予柑・清見・甘夏温州みかんのあとに出荷される柑橘
見どころ・祭り
- 七里御浜玉砂利の海岸。吉野熊野国立公園に指定。海岸沿いにクロマツの松並木が続く
- 道の駅パーク七里御浜町内の道の駅
- 不動の滝町内の滝
- 風伝峠町内の峠
- 引作の大クス引作地区の大樹
木クロマツ花みかんの花鳥ホオジロ御浜町の木・花・鳥
御浜町のなりたち
御浜町(みはまちょう)は、三重県東紀州地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。尾呂志村・市木村・神志山村・阿田和村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の御浜町になりました。
今の名前「御浜町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の尾呂志村が約35km²だったのに対し、今の御浜町は約86km²と、およそ2.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は南牟婁郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧神志山村の区域には神志山駅(紀勢本線)があります。旧阿田和村の区域には阿田和駅(紀勢本線)があります。
「御浜町」という名前
「御浜」は、1958年に阿田和町・神志山村・市木尾呂志村が合併したときに新しくつけられた町名で、どの旧町村の名でもありません。町の海岸は「七里御浜」と呼ばれますが、町名がこの浜にちなむと明記した資料は確認できませんでした。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の町域には南牟婁郡の神志山村・市木村・阿田和村・尾呂志村ができました。神志山村は久生屋・金山・志原・神木の4村をまとめた村で、このうち志原・神木が今の御浜町にあたります。阿田和村は1933年(昭和8年)10月1日に町制を施行して阿田和町となりました。昭和の大合併期の1956年(昭和31年)9月30日に市木村と尾呂志村が合併して市木尾呂志村が生まれ、1957年(昭和32年)10月20日には神志山村の久生屋・金山が熊野市に編入されました。そして1958年(昭和33年)9月1日、阿田和町・神志山村・市木尾呂志村が合併して御浜町が発足しました。平成の大合併では合併せず、単独の町のままです。旧町村の名は阿田和・上市木・下市木などの地名や、阿田和小学校・尾呂志学園の校名に残っています。東の海岸には玉砂利の七里御浜が続き、吉野熊野国立公園に指定されています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南牟婁郡に神志山村(久生屋・金山・志原・神木)・市木村・阿田和村・尾呂志村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1933年10月1日昭和8年南牟婁郡阿田和村が町制を施行して阿田和町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年南牟婁郡の市木村・尾呂志村が合併して市木尾呂志村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1957年10月20日昭和32年神志山村の一部(久生屋・金山)が熊野市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1958年9月1日昭和33年南牟婁郡の阿田和町・神志山村・市木尾呂志村が合併して御浜町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。