今の南さつま市
今の南さつま市の区域の人口は、2020年の国勢調査で32,887人です。今の区域で数えた1980年の52,604人とくらべると37.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.2%です。
南さつま市のなりたち
南さつま市(みなみさつまし)は、鹿児島県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。東加世田村・田布施村・阿多村・西加世田村・加世田村・西南方村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の南さつま市になりました。
明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1923年(大正12年)1月1日に西加世田村が町になり、笠沙町となりました(町制施行)。1924年(大正13年)1月1日に加世田村が町になり、加世田町となりました(町制施行)。1925年(大正14年)1月1日に東加世田村が町になり、万世町となりました(町制施行)。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1953年ごろに加世田町が市になり、加世田市となりました(市制施行)。1953年(昭和28年)10月15日に西南方村が、名前を坊津村に変えました。1954年(昭和29年)7月15日に万世町が合わさって、加世田市が生まれました。1956年(昭和31年)9月30日に田布施村・阿多村が合わさって、金峰町が生まれました。1958年ごろに坊津村が町になり、坊津町となりました(町制施行)。この時期だけで5回の変化があり、町村の数は大きく減りました。
その後、1963年ごろに大浦村が町になり、大浦町となりました(町制施行)。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2005年(平成17年)11月7日に笠沙町・加世田市・坊津町・大浦町・金峰町が合わさって、南さつま市が生まれました。
今の名前「南さつま市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの6の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の西加世田村が約74km²だったのに対し、今の南さつま市は約269km²と、およそ3.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は川辺郡・日置郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、川辺郡は2007年(平成19年)12月1日に廃止されました、日置郡は2005年(平成17年)11月7日に廃止されました。
年表
- 1923年1月1日大正12年西加世田村が町になり、笠沙町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1924年1月1日大正13年加世田村が町になり、加世田町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1925年1月1日大正14年東加世田村が町になり、万世町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1953年ごろ1950〜1955年のあいだ加世田町が市になり、加世田市となった(市制施行)
- 1953年10月15日昭和28年西南方村が、名前を坊津村に変えた出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1954年7月15日昭和29年万世町が合わさって、加世田市が生まれた出典:wiki
- 1956年9月30日昭和31年田布施村・阿多村が合わさって、金峰町が生まれた出典:wiki
- 1958年ごろ1955〜1960年のあいだ坊津村が町になり、坊津町となった(町制施行)
- 1963年ごろ1960〜1965年のあいだ大浦村が町になり、大浦町となった(町制施行)
- 2005年11月7日平成17年笠沙町・加世田市・坊津町・大浦町・金峰町が合わさって、南さつま市が生まれたe-Stat「加世田市(46211)、笠沙町(46341)、大浦町(46342)、坊津町(46343)、金峰町(46368)が合併し、南さつま市(46220)を新設 日置郡(46360)の廃止」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。