今の宝達志水町
石川県の中部、能登半島の付け根にある羽咋郡の町です。町内に能登の最高峰の宝達山があり、日本海側から富山県との県境まで広がります。千里浜の砂浜がのびる海岸もあります。能登の南端に近く、能登で最も加賀寄りの「口能登」に位置します。海に近い平地には水田が広がります。葛粉づくりやイチジクの栽培も知られます。
今の宝達志水町の区域の人口は、2020年の国勢調査で12,121人です。今の区域で数えた1980年の17,115人とくらべると29.2%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.6%です。
主な産業:農業が営まれ、宝達葛やイチジクなどの特産品があります。
特産品・名産
- 宝達葛宝達山のふもとでつくられる葛粉
- イチジク町の特産品の一つ
- おだまき町に伝わる餅菓子
見どころ・祭り
- 千里浜なぎさドライブウェイ砂浜を車で走れる道
- 末森城跡前田利家と佐々成政が戦った城の跡。県指定史跡
- 喜多家住宅加賀藩の十村役を務めた家の住宅。国の重要文化財
木ブナ花桜鳥ウグイス宝達志水町の木・花・鳥
宝達志水町のなりたち
宝達志水町(ほうだつしみずちょう)は、石川県能登地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、10の町村がありました。南邑知村・北志雄村・樋川村・南志雄村・柏崎村・末森村・北荘村・中荘村・北大海村・志雄村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の宝達志水町になりました。
今の名前「宝達志水町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの10の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の北荘村が約26km²だったのに対し、今の宝達志水町は約113km²と、およそ4.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は羽咋郡に属していました。
「宝達志水町」という名前
町の名前は、町内にそびえる宝達山と、合併した二つの町の名前を組み合わせたものです。宝達山は能登地方でいちばん高い山です。名前を決めるとき、押水町は宝達山にちなむ「宝達町」を、志雄町は志雄の「志」と押水の「水」をとった「志水町」を推し、最後までゆずりませんでした。そこで二つの案を合わせて「宝達志水町」となりました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行で、羽咋郡に志雄村・南志雄村・北志雄村・樋川村・南邑知村・柏崎村・末森村・中荘村・北荘村・北大海村の10の村が生まれました。
1933年(昭和8年)5月1日、南の5つの村が合併して新しい志雄村となり、1936年に町制を施行して志雄町になりました。北の5つの村は、昭和の大合併の1954年(昭和29年)11月3日に合併して押水町となりました。押水という名前は、弘法大師の言い伝えが残る「押しの泉」という湧き水にちなみます。1955年には押水町の敷波・敷浪が志雄町に移りました。
2005年(平成17年)3月1日、志雄町と押水町が合併し、宝達志水町が発足しました。町は能登半島の付け根にあり、能登でもっとも加賀に近い「口能登」にあたります。1584年(天正12年)には、前田利家と佐々成政が末森城をめぐって戦いました。宝達山にはかつて金山があったと伝えられています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、羽咋郡に志雄村・南志雄村・北志雄村・樋川村・南邑知村・柏崎村・末森村・中荘村・北荘村・北大海村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1933年5月1日昭和8年羽咋郡の志雄村・樋川村・南志雄村・北志雄村・南邑知村が合併し、新たに志雄村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1936年2月1日昭和11年羽咋郡志雄村が町制を施行し、志雄町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年11月3日昭和29年羽咋郡の柏崎村・末森村・中荘村・北荘村・北大海村が合併し、押水町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年10月1日昭和30年押水町の一部(敷波・敷浪)が志雄町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 2005年3月1日平成17年羽咋郡の志雄町・押水町が合併し、宝達志水町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。