今のかほく市
石川県のほぼ中央にあり、西は日本海に面する市です。東から西へ、山地・丘陵・段丘・低地・海岸の砂丘と地形が移り変わります。北部では大海川が日本海に、南部では宇ノ気川が河北潟に注ぎます。砂丘の畑ではブドウやスイカ、長いもがつくられ、ゴムひもなどの繊維製品づくりが地場産業です。金沢市とはJR七尾線で結ばれています。
今のかほく市の区域の人口は、2020年の国勢調査で34,889人です。今の区域で数えた1980年の34,106人とくらべると2.3%ふえ、人口はほぼ横ばいです。65歳以上の人の割合は29.8%です。
主な産業:繊維関連やコンピュータ関連の製造業と、砂丘を生かした果物・野菜づくりがあります。
特産品・名産
- ルビーロマン市内でもつくられる大粒のブドウ
- 長いも砂丘の畑でつくられる
- スイカ砂丘の畑でつくられる
見どころ・祭り
- 石川県西田幾多郎記念哲学館安藤忠雄が設計した記念館
木桜花ハマナス鳥シロチドリかほく市の木・花・鳥
かほく市のなりたち
かほく市(かほくし)は、石川県加賀地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。南大海村・高松村・七塚村・宇ノ気村です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今のかほく市になりました。
今の名前「かほく市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の高松村が約22km²だったのに対し、今のかほく市は約65km²と、およそ3.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は河北郡・羽咋郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧高松村の区域には高松駅(七尾線)があります。
「かほく市」という名前
市の名前の「かほく」は、この地域が属していた河北郡の「河北」を平仮名で書いたものです。2004年に合併した高松町・七塚町・宇ノ気町は、どれも河北郡の町でした。河北郡は古くからの郡の名前で、金沢の北の河北潟のまわりに広がる地域を指してきました。郡の名前を残しながら、漢字ではなく平仮名を使って新しい市の名前にしました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行で、いまの市域には河北郡の高松村・金津谷村・七塚村・西英村・金津村と、羽咋郡の南大海村が生まれました。1907年(明治40年)には、高松村と金津谷村が高松村に、西英村と金津村が宇ノ気村にまとまりました。
その後、村は順に町になります。1922年(大正11年)に高松村が高松町、1940年(昭和15年)に七塚村が七塚町、1948年(昭和23年)に宇ノ気村が宇ノ気町となりました。1950年には高松町の横山・谷・笠島などが分かれて金津村をつくり、1960年にこの金津村は宇ノ気町に編入されました。1954年(昭和29年)7月15日には、高松町と羽咋郡の南大海村が合併し、新しい高松町が発足しています。
2004年(平成16年)3月1日、高松町・七塚町・宇ノ気町が合併し、かほく市が発足しました。宇ノ気は哲学者の西田幾多郎の出身地で、市内には石川県西田幾多郎記念哲学館があります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、河北郡に高松村・金津谷村・七塚村・西英村・金津村が、羽咋郡に南大海村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1907年8月10日明治40年河北郡で村の統合が行われ、高松村・金津谷村が高松村に、西英村・金津村が宇ノ気村になった。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1922年8月1日大正11年河北郡高松村が町制を施行し、高松町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1940年2月11日昭和15年河北郡七塚村が町制を施行し、七塚町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1948年2月11日昭和23年河北郡宇ノ気村が町制を施行し、宇ノ気町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1950年4月1日昭和25年高松町のうち横山・谷・笠島・上田名・余地の区域が分かれ、金津村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1954年7月15日昭和29年河北郡高松町と羽咋郡南大海村が合併し、河北郡に新たに高松町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1960年4月1日昭和35年河北郡金津村が宇ノ気町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 2004年3月1日平成16年河北郡の高松町・七塚町・宇ノ気町が合併し、かほく市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。