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志賀町しかまち

1920年には17の町村だった区域が、7回の合併・編入を経て、今の志賀町になりました。

17町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の志賀町

石川県の羽咋郡にある町で、能登半島の西側、石川県北西部の日本海に面しています。北は輪島市、東は七尾市、南は羽咋市と接します。半島を口能登・中能登・奥能登と分けるときは、口能登にあたります。海岸には能登金剛の景勝地が続き、日本の棚田百選の大笹波水田もあります。かつては繊維工業が栄え、いまは電気機械の製造が盛んです。

今の志賀町の区域の人口は、2020年の国勢調査で18,630人です。今の区域で数えた1980年の30,636人とくらべると39.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.8%です。

18,630人人口(2020年)
−39.2%1980年からの増減
247km²面積(国土地理院)
75人/km²人口密度
44.8%65歳以上の割合
30,6361980199020052020
15歳未満 8.9%15〜64歳 46.3%65歳以上 44.8%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:電気機械の製造が盛んで、能登中核工業団地があります。ほかに農業と漁業もあります。

特産品・名産

  • ころ柿町の特産の干し柿
  • スイカ近現代の主な特産物の一つ
  • 能登牛近現代の主な特産物の一つ

見どころ・祭り

  • 能登金剛能登半島国定公園の景勝地
  • 高爪山能登富士と呼ばれる霊山
  • 大笹波水田日本の棚田百選の棚田
  • 松尾神社本殿は国の重要文化財

木もちの木花はまなす志賀町の木・花

志賀町のなりたち

志賀町(しかまち)は、石川県能登地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、17の町村がありました。西土田村・東土田村・上熊野村・志加浦村・堀松村・加茂村・稗造村・西浦村・西増穂村・東増穂村・西海村・熊野村・福浦村・下甘田村・中甘田村・高浜町・富来町です。これらの町村が、7回の合併や編入を経て、今の志賀町になりました。

今の名前「志賀町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの17の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の稗造村が約36km²だったのに対し、今の志賀町は約250km²と、およそ7.0倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は羽咋郡に属していました。

171920年の町村の数
7回合併・編入の回数
247km²今の面積
2005年いちばん新しい合併

「志賀町」という名前

「志賀」という名前の由来は、はっきりしていません。1954年(昭和29年)に志加浦村・堀松村・加茂村・上熊野村・土田村の5村が合併して町をつくったとき、「志賀町」という名前が付けられました。合併した村の一つの志加浦村と、読みが同じ名前です。2005年に富来町と合併したあとも、この名前が受け継がれています。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行で、羽咋郡に高浜町と多くの村が生まれました。北の富来村は1919年(大正8年)に町制を施行して富来町となり、1940年(昭和15年)には東土田村と西土田村が合併して土田村ができています。

昭和の大合併では、1954年(昭和29年)10月1日に志加浦村・堀松村・加茂村・上熊野村・土田村が合併して志賀町が生まれました。11月3日には富来町が熊野村・稗造村・東増穂村・西増穂村・西海村・西浦村・福浦村と合併し、新しい富来町となりました。1955年には下甘田村が志賀町に編入され、高浜町は中甘田村と合併しています。

1970年(昭和45年)11月1日、志賀町と高浜町が合併して新しい志賀町が発足しました。2005年(平成17年)9月1日には志賀町と富来町が合併し、今の志賀町が生まれました。能登半島の西側で日本海に面し、海岸には能登金剛の岩場が続きます。2024年の能登半島地震では大きな被害を受けました。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、羽咋郡に高浜町と中甘田村・下甘田村・志加浦村・堀松村・加茂村・東土田村・西土田村・上熊野村・熊野村・富来村・稗造村・東増穂村・西増穂村・西海村・西浦村・福浦村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1919年9月1日大正8年羽咋郡富来村が町制を施行し、富来町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  3. 1940年11月3日昭和15年羽咋郡の東土田村・西土田村が合併し、土田村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  4. 1954年10月1日昭和29年羽咋郡の志加浦村・堀松村・加茂村・上熊野村・土田村が合併し、志賀町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  5. 1954年11月3日昭和29年羽咋郡の富来町・熊野村・稗造村・東増穂村・西増穂村・西海村・西浦村・福浦村が合併し、新たに富来町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  6. 1954年11月3日昭和29年羽咋郡下甘田村の一部(上中山)が羽咋町の新設合併に加わった。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  7. 1955年4月1日昭和30年羽咋郡下甘田村が志賀町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  8. 1955年4月28日昭和30年羽咋郡の高浜町・中甘田村が合併し、新たに高浜町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  9. 1970年11月1日昭和45年羽咋郡の高浜町・志賀町が合併し、新たに志賀町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  10. 2005年9月1日平成17年羽咋郡の志賀町・富来町が合併し、新たに志賀町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

志賀町1954〜今
富来町1919〜2005
稗造村1889〜1954
西浦村1889〜1954
西増穂村1889〜1954
東増穂村1889〜1954
西海村1889〜1954
熊野村1889〜1954
福浦村1889〜1954
高浜町1889〜1970
中甘田村1889〜1955
下甘田村1889〜1955
上熊野村1889〜1954
志加浦村1889〜1954
堀松村1889〜1954
加茂村1889〜1954
土田村1940〜1954
西土田村1889〜1940
東土田村1889〜1940

参考にした資料