今の和寒町
上川地方北部の名寄盆地の南端にあり、塩狩峠の麓に広がる町です。天塩川の支流の源流部にあたり、丘陵地が多い地形です。農業が盛んで、カボチャの作付面積が日本一とされるほか、雪の下で保存して冬に出荷する越冬キャベツが知られています。上川管内で愛別町と並ぶキノコの産地でもあります。春には三笠山自然公園でカタクリが咲きます。
今の和寒町の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,192人です。今の区域で数えた1980年の6,696人とくらべると52.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.3%です。
主な産業:稲作のほか、カボチャ・越冬キャベツ・キノコの栽培が盛んです。
特産品・名産
- カボチャ作付面積が日本一とされる
- 越冬キャベツ雪の下で保存して冬に出荷するキャベツ
- キノコ上川管内の産地の一つ
見どころ・祭り
- 三笠山自然公園春に町花カタクリと桜が咲く
- 塩狩峠記念館塩狩峠にある記念館
- 南丘森林公園四季の景色が楽しめる公園
- ペオッペ駅逓所跡町指定の文化財
木ニレ花カタクリ和寒町の木・花
和寒町のなりたち
和寒町(わっさむちょう)は、北海道上川地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに和寒村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は上川郡に属していました。
「和寒町」という名前
「和寒」は、アイヌ語の「ワットサム」が変わった名で、「ニレの木のそば」という意味です。昔、このあたりにはニレの木がたくさん生えていたといわれます。古い地図には剣淵川の東の支流のあたりに「ワッサム」の名が見え、かつては「輪寒」や「和参」と書かれたこともありました。1915年(大正4年)に和寒村となり、1952年(昭和27年)に町制を施行して和寒町になりました。今もニレは町の木になっています。
まちの成り立ち
和寒は、1897年(明治30年)11月から増毛支庁の管轄下で剣淵村に含まれていましたが、1899年(明治32年)5月に上川支庁の管内へ移されました。1901年(明治34年)に屯田兵の用地が民有地に戻されて植民地の区画が設けられると、70戸あまりの団体が移り住み、開拓が進みました。1915年(大正4年)4月1日に剣淵村から分かれ、二級町村制を施行して和寒村になりました。町の北には、鉄道の難所として知られた塩狩峠があります。戦前は除虫菊が広く植えられていましたが、戦後は寒さに強い米の栽培が広がりました。1952年(昭和27年)1月1日に町制を施行して和寒町になりました。1972年(昭和47年)からは、雪の下で保存して冬に出荷する越冬キャベツが国の産地指定を受けています。1998年(平成10年)には、カボチャの作付面積が日本一となりました。春には三笠山自然公園で、町の花のカタクリと桜が咲きそろいます。
年表
- 1915年4月1日大正4年上川郡の剣淵村の一部(和寒原野・ペオッペ原野)が分かれ、二級町村制の和寒村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1952年1月1日昭和27年和寒村が町制を施行し、和寒町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。