今の鷹栖町
上川総合振興局にある町で、上川盆地の北に位置します。小高い丘に囲まれた小盆地状の地形で、オサラッペ川が北から南へ流れ、町の南端で石狩川に注ぎます。北は和寒町、ほかの三方は旭川市に接しています。町内の道路は碁盤の目のように通っています。基幹産業は農業で、米や野菜が作られています。ワイン用のぶどうの栽培も行われています。
今の鷹栖町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,567人です。今の区域で数えた1980年の7,509人とくらべると12.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は34.6%です。
主な産業:農業が基幹産業で、米・野菜・ワイン用ぶどうが作られます。
特産品・名産
- ブランド米ゆめぴりか・ななつぼしの主要産地
- オオカミの桃町の農業振興公社が作るトマトジュース
- ワイン町内のワイナリーが造る白ワイン
見どころ・祭り
- 嵐山公園旭川市から鷹栖町にまたがる公園
- 北邦野草園北方系の野草を集めた植物園
- 鷹栖町郷土資料館装蹄用具などの民俗資料を収蔵
木ナナカマド花マリーゴールド鷹栖町の木・花
鷹栖町のなりたち
鷹栖町(たかすちょう)は、北海道上川地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに鷹栖村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は上川郡に属していました。
「鷹栖町」という名前
「鷹栖」は、アイヌ語の「チカプニ」(大きな鳥のすむ巣のある所)を意訳した名とされています。トンビやハイタカなどの大きな鳥が空に輪を描いて舞う様子から、この地がチカプニと呼ばれたともいわれます。1892年(明治25年)に置かれた鷹栖村の名が、のちに分かれた今の町に受けつがれました。
まちの成り立ち
鷹栖村は1892年(明治25年)2月4日に上川郡に置かれ、翌年から岩手県の団体などが入植して村の形が整いました。1895年(明治28年)6月15日に鷹栖村戸長役場が置かれ、1906年(明治39年)4月1日に二級町村制を施行しました。このとき村の東部が比布村として分かれています。1909年(明治42年)には一級町村制に移りました。大正に入ると開発の中心がオサラッペ地区に移り、近文原野の住民が分村を求めるようになります。1924年(大正13年)6月4日、もとの鷹栖村は東鷹栖村と名前を改め、同時にオサラッペ川流域が新しい鷹栖村に、西の山間部が江丹別村に分かれました。今の鷹栖町は、このとき分かれた鷹栖村です。江丹別村は1955年(昭和30年)に旭川市へ編入され、東鷹栖村も町制を施行したのち、1971年(昭和46年)に旭川市へ編入されました。鷹栖村は1969年(昭和44年)1月1日に町制を施行し、鷹栖町となりました。町内の道路は、ほぼ全域が碁盤の目のように通っています。
年表
- 1906年4月1日明治39年上川郡の鷹栖村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1906年4月1日明治39年鷹栖村の東部が分かれ、比布村が置かれた。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1909年4月1日明治42年鷹栖村が一級町村制を施行した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1924年6月4日大正13年鷹栖村が東鷹栖村と名前を改め、同時に西部が新しい鷹栖村と江丹別村に分かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1969年1月1日昭和44年鷹栖村が町制を施行し、鷹栖町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。