今の剣淵町
北海道の内陸部にあり、天塩川の支流の剣淵川に沿って町が開けています。西側には剣淵山や早田峠があります。農業が盛んで、畑作物、野菜、酪農、畜産が営まれます。町は「絵本の里」を掲げ、国際絵本原画展の開催や専門図書館の絵本の館の開館を通じて、絵本によるまちづくりを進めています。2006年には道の駅絵本の里けんぶちが開館しました。
今の剣淵町の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,926人です。今の区域で数えた1980年の5,481人とくらべると46.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.9%です。
主な産業:畑作物・野菜の農業と、酪農・畜産が盛んです。
特産品・名産
- 農産物屯田兵が拓いた農地で作られる畑作物や野菜
見どころ・祭り
- 剣淵町絵本の館絵本の専門図書館
- 道の駅絵本の里けんぶち2006年に開館した道の駅
- けんぶちビバアルパカ牧場アルパカを飼育する牧場
- 剣淵屯田兵屋町の有形文化財
- 開拓記念木やちだも町の天然記念物
木ヤチダモ花エゾリンドウ剣淵町の木・花
剣淵町のなりたち
剣淵町(けんぶちちょう)は、北海道上川地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに剣淵村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は上川郡に属していました。
「剣淵町」という名前
「剣淵」は、アイヌ語で剣淵川と天塩川の合流点を指す「ケネペップトゥ」(ハンノキの川の川口)などに由来する、という説があります。いずれの説でも、ハンノキがあったことが名のもとと考えられています。1906年(明治39年)に剣淵村となり、1962年(昭和37年)の町制施行で剣淵町になりました。
まちの成り立ち
剣淵のあたりは、明治のはじめには天塩国の6郡を治める郡役所の管内にありました。1897年(明治30年)6月30日に天塩国上川郡に剣淵村・士別村・多寄村・上名寄村が置かれ、1899年(明治32年)には屯田兵337戸が入植して、剣淵に戸長役場が置かれました。剣淵の開拓は、この屯田兵によって進められました。1902年(明治35年)には士別や名寄の村々が戸長役場から分かれ、剣淵村だけの戸長役場となりました。1906年(明治39年)4月1日に二級町村制が施行されて剣淵村となり、1915年(大正4年)には南の和寒村を、1927年(昭和2年)10月1日には北西の温根別村を分けています。1962年(昭和37年)1月1日に町制を施行して剣淵町になりました。1988年(昭和63年)には町の若者たちが絵本の里づくりの会をつくり、国際絵本原画展の開催や絵本の館の開館など、絵本を題材にしたまちづくりを進めています。
年表
- 1906年4月1日明治39年上川郡の剣淵村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1915年4月1日大正4年剣淵村の一部(和寒原野・ペオッペ原野)が分かれ、和寒村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1927年10月1日昭和2年剣淵村の一部が分かれ、温根別村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1962年1月1日昭和37年剣淵村が町制を施行し、剣淵町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。