今の島牧村
後志地方の南部にあり、日本海に面した村です。海に迫る山地が多く、賀老高原にはブナの原生林が広がります。賀老の滝や江の島海岸といった景勝地があります。古くはニシン漁で栄え、現在はヒラメやカレイ、ホッケの刺し網漁やサケの定置網漁が行われています。景観を生かした観光にも取り組み、直売店や民宿を兼ねる漁家が多くあります。
今の島牧村の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,356人です。今の区域で数えた1980年の3,138人とくらべると56.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.6%です。
主な産業:ヒラメ・カレイ・ホッケなどの刺し網漁やサケ定置網漁が中心で、観光にも力を入れています。
特産品・名産
- ヒラメ・カレイ刺し網漁で水揚げされる
- ホッケ刺し網漁で水揚げされる
- イカナゴ地元ではコウナゴ、コナゴと呼ぶ
見どころ・祭り
- 賀老の滝日本の滝百選に選ばれた滝
- 江の島海岸日本の渚百選に選ばれた海岸
- 賀老高原ブナ原生林広さ10,700haのブナ林
- 狩場茂津多道立自然公園村と周辺にまたがる自然公園
木ブナ花オオヒラウスユキソウ島牧村の木・花
島牧村のなりたち
島牧村(しままきむら)は、北海道後志地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。東島牧村・西島牧村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の島牧村になりました。
今の名前「島牧村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の西島牧村が約268km²だったのに対し、今の島牧村は約480km²と、およそ1.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は島牧郡に属していました。
「島牧村」という名前
「島牧」は、アイヌ語の「シュマコマキ」(岩石の後ろの意)が変わった名とされます。永田方正の『北海道蝦夷語地名解』が、この語源を挙げています。1906年(明治39年)の二級町村制で東島牧村と西島牧村が生まれ、1956年(昭和31年)9月30日に2つの村が合わさって島牧村になりました。
まちの成り立ち
島牧では、1631年(寛永8年)に松前藩がシマコマキで金山を開発しました。文化年間に江差の笹屋という人が漁業のため島牧郡永豊村に運上屋を設けました。1870年(明治3年)に運上屋請負制度が廃止されて開拓使の直轄となり、1872年(明治5年)に永豊村へ戸長役場が置かれて、島牧郡全体を治めました。1887年(明治20年)5月31日に本目外2村戸長役場が廃されて永豊村外3村戸長役場に合併し、1899年(明治32年)に東の本目村と西の永豊村にそれぞれ戸長役場が置かれました。1903年(明治36年)11月15日には役場の位置が千走村に移されました。1906年(明治39年)4月1日に二級町村制が施行され、村名はそれぞれ東島牧村・西島牧村になりました。1956年(昭和31年)9月30日に東島牧村と西島牧村が廃され、新たに島牧村が置かれました。島牧村は、字名の改正を一度も行わず、両村の字をそのまま引き継いでいます。
年表
- 1906年4月1日明治39年島牧郡で北海道二級町村制が施行され、東島牧村と西島牧村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1956年9月30日昭和31年東島牧村と西島牧村が合併し、島牧村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。