今の積丹町
積丹半島の先端部にあり、日本海に面した町で、一つの町で積丹郡をなしています。町のあちこちに海に突き出た岬や海岸があり、神威岬は「積丹ブルー」と呼ばれる海の色で知られ、北海道遺産に選ばれています。積丹岳は標高1,255mです。漁業、農業、観光が中心で、ウニの産地として知られます。ソーラン節の原型の沖揚げ音頭が伝わります。
今の積丹町の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,831人です。今の区域で数えた1980年の4,910人とくらべると62.7%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は46.9%です。
主な産業:漁業・農業・観光業が中心で、ウニの水揚げで知られます。
特産品・名産
- ウニ漁期は6月上旬から8月末
- 積丹海苔漁期は2月から3月の岩海苔
- 鰤宝町で水揚げされるブランドのブリ
見どころ・祭り
- 神威岬積丹ブルーで知られる。北海道遺産
- 島武意海岸日本の渚百選に選ばれた海岸
- 黄金岬町の景勝地
- 神威岬灯台神威岬にある灯台
木エゾヤマザクラ花エゾカンゾウ積丹町の木・花
積丹町のなりたち
積丹町(しゃこたんちょう)は、北海道後志地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。入舸村・美国町・余別村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の積丹町になりました。
今の名前「積丹町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の美国町が約104km²だったのに対し、今の積丹町は約264km²と、およそ2.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は積丹郡・美国郡に属していました。
「積丹町」という名前
「積丹」は、アイヌ語の「シャク」(夏の意)と「コタン」(村の意)を合わせた「シャクコタン」に由来するとされます。町の公式ページに、この由来が示されています。1956年(昭和31年)9月30日に美国町・入舸村・余別村が合わさって、積丹町が生まれました。
まちの成り立ち
積丹の区域には、美国町・入舸村・余別村がありました。1872年(明治5年)に積丹郡戸長役場が置かれ、その後は戸長役場の統廃合が何度も行われました。美国は松前藩の時代に美国場所と呼ばれ、1821年(文政4年)に福山の沢田屋求兵衛が漁場の請負人になって以来、発展したと伝えられます。入舸は、1807年(文化4年)に石川県の岩田金蔵が漁業請負人となって住み着いたのが移住の始まりです。余別は同じ文化4年に、漁場に支配人が置かれたのが始まりです。1902年(明治35年)に二級町村制を施行して美国町となり、入舸村と余別村は1906年(明治39年)4月1日に二級町村制を施行しました。美国町は1909年(明治42年)4月1日に一級町村制となり、余別村は1924年(大正13年)に一級町村制となりました。1956年(昭和31年)9月30日、美国町・入舸村・余別村を廃して積丹町が置かれました。積丹町は積丹郡の全域にあたります。
年表
- 1902年美国郡の美国町が北海道二級町村制を施行した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1906年4月1日明治39年積丹郡の入舸村と余別村が北海道二級町村制を施行した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1909年4月1日明治42年美国町が北海道一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1924年余別村が北海道一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1956年9月30日昭和31年美国町・入舸村・余別村が合併し、積丹町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1956年9月30日昭和31年積丹町の属する郡が積丹郡と定められ、旧美国町の区域は美国郡から積丹郡に移った。種類:郡の変更 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。