今の佐呂間町
オホーツク総合振興局のほぼ中央にあり、北側はサロマ湖に面します。南部は丘陵地帯です。サロマ湖の沿岸では漁業が盛んで、浜佐呂間漁港と富武士漁港があり、ホタテやカキの養殖が行われています。丘陵部では畑作、酪農、林業が営まれ、カボチャが特産品です。湖畔には網走国定公園が含まれ、毎年6月にはサロマ湖100キロウルトラマラソンが開かれます。
今の佐呂間町の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,875人です。今の区域で数えた1980年の8,666人とくらべると43.7%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.5%です。
主な産業:サロマ湖のホタテ・カキ養殖、畑作、酪農、林業が営まれます。
特産品・名産
- ホタテサロマ湖で養殖される
- カキサロマ湖で養殖される
- カボチャ町の特産品
見どころ・祭り
- サロマ湖北部に広がる湖
- サロマ湖展望台サロマ湖を見渡す展望台
- ピラオロ展望台町内の展望台
- 網走国定公園湖畔を含む国定公園
- サロマ湖温泉町内の温泉
木オオバボダイジュ花エゾムラサキツツジ佐呂間町の木・花
佐呂間町のなりたち
佐呂間町(さろまちょう)は、北海道オホーツク地方の町です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では佐呂間村でした。
1920年の時点で、この区域の町村は常呂郡に属していました。
「佐呂間町」という名前
「佐呂間」は、アイヌ語の「サロ・オマ・ペット」(葦のあるところの川)や、「サラオマ」(葦のあるところの沼)がサロマとなり、大正4年に「佐呂間」の字を当てたものです。町の北側のサロマ湖の名に結びつく地名です。1915年(大正4年)に鐺沸村が佐呂間村と改称し、1953年(昭和28年)に町制を施行して佐呂間町となりました。
まちの成り立ち
佐呂間では、1808年(文化5年)に藤野喜兵衛が松前藩の許しを得て鐺沸の浜に漁舎を建て、サロマ湖で季節の漁を営みました。1872年(明治5年)にはトウフツ村と名づけられ、のちに漢字の鐺沸村となりました。1894年(明治27年)に鈴木甚五郎が下佐呂間(今の浜佐呂間)に住みつき、半農半漁を営みました。町はこの年を開基としています。1914年(大正3年)4月、常呂の戸長役場から分かれて、中佐呂間の市街に鐺沸村戸長役場が置かれました。1915年(大正4年)4月に二級町村制が施行され、同じ年の11月に村の名前を佐呂間村と改めました。1948年(昭和23年)4月1日には、西部の下武士より西の区域が若佐村として分かれています。1950年(昭和25年)には下湧別村の床丹の集落が村に加わりました。1953年(昭和28年)4月1日に町制を施行して佐呂間町となり、1956年(昭和31年)9月30日に佐呂間町と若佐村が合併して、今の佐呂間町が生まれました。
年表
- 1915年4月大正4年常呂郡の鐺沸村に二級町村制が施行された。あわせて鐺沸の集落は常呂村に移された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1915年11月1日大正4年鐺沸村が名前を改め、佐呂間村となった。種類:改称 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1948年4月1日昭和23年佐呂間村の下武士より西の区域が分かれ、若佐村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1950年11月15日昭和25年紋別郡下湧別村の床丹の集落が、境界変更により佐呂間村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1953年4月1日昭和28年佐呂間村が町制を施行し、佐呂間町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1956年9月30日昭和31年佐呂間町と若佐村が合併し、新しい佐呂間町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。