今の長沼町
北海道中西部、空知総合振興局の南部にある町です。東部には馬追丘陵(マオイの丘)が連なり、西部は夕張川や千歳川の流れる平野が広がります。農業が盛んで、稲作、畑作、果樹栽培が行われ、カボチャの空中栽培もあります。町内には種苗会社などの研究農場があります。味付けジンギスカンの店があり、ながぬま温泉、道の駅マオイの丘公園、ハイジ牧場などの施設が丘陵にあります。
今の長沼町の区域の人口は、2020年の国勢調査で10,289人です。今の区域で数えた1980年の13,354人とくらべると23.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.7%です。
主な産業:稲作・畑作・果樹栽培の農業が盛んで、研究農場や食品工場もあります。
特産品・名産
- 味付けジンギスカン町の名物として紹介される
- カボチャの空中栽培ぶら下げて育てるカボチャ
- 米稲作が盛んな町の農産物
見どころ・祭り
- ながぬま温泉国民保養温泉地
- 馬追丘陵(マオイの丘)町の東部の丘陵地帯
- 道の駅マオイの丘公園町内の道の駅
- 馬追運河町内の運河
- ハイジ牧場レジャー施設
木エゾヤマザクラ花ライラック鳥カッコウ長沼町の木・花・鳥
長沼町のなりたち
長沼町(ながぬまちょう)は、北海道空知地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに長沼村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は夕張郡に属していました。
「長沼町」という名前
「長沼」は、アイヌ語の「タンネトー」(細長い沼)にちなんだ名です。1892年(明治25年)に長沼村が成立するとき、開拓功労者の名をとって吉川村にする意見もありましたが、吉川が固辞しました。そこで、村内にある細長い沼にちなんで長沼村と決まりました。1952年(昭和27年)に町制を施行して長沼町になりました。
まちの成り立ち
長沼の開拓は、1887年(明治20年)5月に岩手県出身の吉川鉄之助ら2戸が馬追原野の夕張川のほとりに移住したことに始まります。1892年(明治25年)に北海道庁令で長沼村が成立し、1893年に由仁外3村戸長役場の管轄となりました。1895年(明治28年)5月1日に由仁外3村戸長役場から独立して長沼村戸長役場が設置されています。1899年には由仁村との間で境界が改められました。1902年(明治35年)4月1日に二級町村制を施行して長沼村となり、1907年(明治40年)4月1日に一級町村制になりました。1919年に由仁村との境界変更で通称袋地を編入し、1920年には幌向村との境界変更で通称木詰を編入しています。1930年(昭和5年)に夕張鉄道が開通して長沼駅ができ、北市街地が生まれました。1949年(昭和24年)7月には栗山町との境界変更で字富士を編入しました。1952年(昭和27年)1月1日に町制を施行して長沼町になりました。町は稲作、畑作、果樹栽培の農業が盛んで、馬追丘陵の観光地もあります。
年表
- 1892年北海道庁令により夕張郡に長沼村が置かれた。種類:その他 出典:Wikipedia
- 1895年5月1日明治28年由仁外3村戸長役場から分かれて、長沼村戸長役場が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1899年7月14日明治32年由仁村との境界が変更された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1902年4月1日明治35年長沼村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1907年4月1日明治40年長沼村が一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1919年4月1日大正8年由仁村との境界変更で、通称袋地が長沼村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1920年7月1日大正9年幌向村との境界変更で、通称木詰が長沼村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1949年7月1日昭和24年栗山町との境界変更で、字富士が長沼村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1952年1月1日昭和27年長沼村が町制を施行し、長沼町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1986年3月1日昭和61年恵庭市との境界が変更された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。