今の恵庭市
石狩振興局にあり、北海道西部に位置する市です。東西約34キロ、南北約23キロの市域は、自衛隊の演習地を含めると約3分の2が森林で、山地は支笏洞爺国立公園に含まれます。恵庭岳、漁岳、空沼岳を水源とする漁川やラルマナイ川、島松川が千歳川に注ぎます。米づくりが明治に始まった地で、花苗の産地としても知られ、花のまちづくりが進められています。
今の恵庭市の区域の人口は、2020年の国勢調査で70,331人です。今の区域で数えた1980年の42,911人とくらべると63.9%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は28.2%です。
主な産業:米づくり、花苗や野菜の栽培、酪農などの農業のほか、工業団地の企業があります。
特産品・名産
- えびすかぼちゃ道内でいち早く栽培されたカボチャ
- 花苗道内有数の産地。大通公園の花壇にも使われる
- 米中山久蔵が稲作に成功した地の産物
見どころ・祭り
- 恵庭渓谷白扇の滝やラルマナイの滝がある渓谷
- 漁川ダム(えにわ湖)1980年に竣工したダム湖
- 花の拠点「はなふる」2020年にオープンした花の施設
- 道と川の駅 花ロードえにわ2006年にオープンした道の駅
- 恵庭市郷土資料館市の歴史を伝える資料館
木イチイ花スズラン鳥カワセミ恵庭市の木・花・鳥
恵庭市のなりたち
恵庭市(えにわし)は、北海道石狩地方の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに恵庭村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい市です。
1920年の時点で、この区域の町村は千歳郡に属していました。
「恵庭市」という名前
「恵庭」は、もとアイヌ語で「イジャニ」(さけの産が多いという意)と呼ばれていたとされます。1906年(明治39年)に二級町村制を施行するとき、恵庭岳にちなんで恵庭村としました。恵庭岳の名は、アイヌ語で頭がとがった山を意味する「エエンイワ」に由来するとする説があります。1951年(昭和26年)に町制を施行して恵庭町となり、1970年(昭和45年)11月1日の市制施行で恵庭市になりました。
まちの成り立ち
江戸時代の1755年(宝暦5年)に飛騨の材木商の武川久兵衛が漁川の上流でエゾマツの伐採を行い、1805年(文化2年)には山田文右衛門が漁太に漁場を設けました。和人が住みついたのは、1871年(明治4年)に大阪府の中山久蔵が島松川の近くに居住したのが最初です。1886年(明治19年)の山口県からの団体移民をはじめ、石川・富山両県などからの入植が続きました。1897年(明治30年)7月15日に漁外1村戸長役場が置かれ、1906年(明治39年)4月1日に漁村と島松村を合わせて二級町村制を施行し、恵庭村が設置されました。1923年(大正12年)4月1日に一級町村制を施行し、1943年(昭和18年)10月1日には広島村と境界を変更して島松の一部を分けました。1951年(昭和26年)4月1日に町制を施行し、1961年(昭和36年)5月1日には広島村との境界変更で字南里と字島松の一部を編入しています。1970年(昭和45年)11月1日に市制を施行して恵庭市となりました。
年表
- 1897年7月15日明治30年千歳郡各村戸長役場の受け持ちから分かれて、漁外1村戸長役場が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1906年4月1日明治39年千歳郡の漁村と島松村が合わさって二級町村制を施行し、恵庭村となった。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1923年4月1日大正12年恵庭村が一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1943年10月1日昭和18年広島村との境界変更で、島松の一部が広島村に移った。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1951年4月1日昭和26年恵庭村が町制を施行し、恵庭町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1961年5月1日昭和36年広島村との境界変更で、広島村の字南里と字島松の一部が恵庭町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1970年11月1日昭和45年恵庭町が市制を施行し、恵庭市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1986年3月1日昭和61年長沼町との境界が変更された。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。