今の呉市
広島県の南西部、瀬戸内海に面した市です。山が多く平地が少ないため、市街地は海沿いの狭い平地に広がります。倉橋島、上蒲刈島、下蒲刈島、豊島、大崎下島などの島々があり、橋で本州と結ばれています。明治時代に鎮守府が置かれ、海軍の拠点として発展しました。造船や鉄鋼などの重工業が盛んで、今も海上自衛隊の基地があります。
今の呉市の区域の人口は、2020年の国勢調査で214,592人です。今の区域で数えた1980年の302,766人とくらべると29.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.5%です。
主な産業:造船・鉄鋼・機械・金属製品などの重工業と、やすりや筆の製造が営まれています。
特産品・名産
- 仁方やすり仁方地区で作られるやすり
- 川尻筆川尻で作られる筆
- 呉の肉じゃが海軍ゆかりの肉じゃがを地域おこしに活用
見どころ・祭り
- 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)呉の造船や海事の歴史を紹介
- 入船山記念館旧呉鎮守府司令長官官舎の建物
- 音戸の瀬戸瀬戸内海国立公園にある海峡
- 御手洗大崎下島にあり、重要伝統的建造物群保存地区
木かし花つばき呉市の木・花
呉市のなりたち
呉市(くれし)は、広島県安芸の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、24の町村がありました。吉浦町・阿賀町・警固屋町・本庄村・焼山村・渡子島村・広村・仁方町・中切村・野路村・内海町・三津口村・久友村・大長村・上蒲刈島村・郷原村・大屋村・内海跡村・下蒲刈島村・川尻村・音戸町・豊浜村・倉橋島村・呉市です。これらの町村が、13回の合併や編入を経て、今の呉市になりました。
今の名前「呉市」は、1920年にあった呉市の名前を受け継いでいます。ほかの23の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の呉市が約21km²だったのに対し、今の呉市は約344km²と、およそ16.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は安芸郡・豊田郡・賀茂郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、賀茂郡は2005年(平成17年)3月22日に廃止されました。
「呉市」という名前
呉の市名の由来には、いくつかの説があります。一つは、呉の一帯を囲む連峰を「九嶺(きゅうれい)」と呼び、それが「くれ」に変わったとする説です。二つめは、灰ヶ峰から伐採した「くれ(榑、板材の意)」が特産品として有名になったことによるとする説です。三つめは、古代にこの地方に住んだ朝鮮半島出身の人々を「くれ人」と呼んだことによるとする説です。
まちの成り立ち
1686年(貞享3年)に、宮原村の呉浦が呉町と呼ばれるようになりました。1889年(明治22年)の町村制で、安芸郡に和庄村・宮原村・荘山田村・吉浦村が成立し、同じ年に呉鎮守府が開かれます。1902年(明治35年)10月1日、和庄町・宮原村・荘山田村・二川町が対等合併して市制を施行し、呉市が生まれました。県内では広島市、尾道市に次ぐ3番目の市でした。その後、1928年(昭和3年)に警固屋町・吉浦町・阿賀町、1941年(昭和16年)に仁方町と広村を編入しました。戦後の1956年(昭和31年)には天応町・昭和村・郷原村を編入しています。平成の大合併では、2003年(平成15年)4月1日に下蒲刈町、2004年(平成16年)4月1日に川尻町を編入しました。さらに2005年(平成17年)3月20日には、音戸町・倉橋町・蒲刈町・安浦町・豊浜町・豊町の6町を編入し、倉橋島や上蒲刈島、豊島、大崎下島などの島々が市域に加わりました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、安芸郡に和庄村・宮原村・荘山田村・吉浦村・大屋村・警固屋村・瀬戸島村・渡子島村・倉橋島村・蒲刈島村・焼山村・本庄村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、賀茂郡に郷原村・阿賀村・広村・仁方村・川尻村・内海跡村・野呂村・中切村・内海村・三津口村、豊田郡に豊浜村・久友村・大長村・御手洗町が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1891年7月27日明治24年安芸郡蒲刈島村が分割され、上蒲刈島村と下蒲刈島村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1892年9月1日明治25年安芸郡和庄村が町制を施行して和庄町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1895年12月7日明治28年賀茂郡内海村が町制を施行して内海町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1897年5月1日明治30年賀茂郡阿賀村が町制を施行して阿賀町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1902年4月1日明治35年安芸郡吉浦村の一部が分かれて二川町が発足した。種類:その他 出典:Wikipedia
- 1902年10月1日明治35年安芸郡の和庄町・宮原村・荘山田村・二川町が合併し、市制を施行して呉市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1906年1月1日明治39年安芸郡瀬戸島村が町制を施行し、音戸町に改称した。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1906年6月1日明治39年安芸郡警固屋村が町制を施行して警固屋町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1907年1月1日明治40年賀茂郡仁方村が町制を施行して仁方町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1916年2月11日大正5年安芸郡吉浦村が町制を施行して吉浦町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1922年1月1日大正11年賀茂郡の川尻村が町制を施行して川尻町に、三津口村が町制を施行して三津口町になった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1928年4月1日昭和3年安芸郡の吉浦町・警固屋町と賀茂郡阿賀町が呉市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1929年1月1日昭和4年賀茂郡内海跡村が安登村に改称した。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1931年4月1日昭和6年安芸郡本庄村の一部(平谷・川角)が熊野町に編入され、本庄村の残りと焼山村が合併して昭和村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1932年4月1日昭和7年安芸郡の音戸町と渡子島村が合併し、改めて音戸町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1941年4月21日昭和16年賀茂郡の広村と仁方町が呉市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1942年4月1日昭和17年賀茂郡の野呂村と中切村が合併して野路村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1944年1月1日昭和19年賀茂郡の野路村・内海町・三津口町が合併して安浦町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1947年8月1日昭和22年安芸郡下蒲刈島村の一部が分かれて向村が発足した。種類:その他 出典:Wikipedia
- 1951年11月3日昭和26年安芸郡大屋村が町制を施行し、天応町に改称した。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1952年6月1日昭和27年安芸郡倉橋島村が町制を施行し、倉橋町に改称した。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1956年3月31日昭和31年豊田郡の久友村・大長村・御手洗町が合併して豊町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年4月1日昭和31年賀茂郡の川尻町・安登村・安浦町が豊田郡に所属を変えた。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年安芸郡の向村と上蒲刈島村が合併して蒲刈町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年10月1日昭和31年安芸郡の天応町・昭和村と賀茂郡郷原村が呉市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1958年4月1日昭和33年豊田郡安登村が分割され、一部(水落・小用・竜王山と寒風の一部)が川尻町に、残りが安浦町に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1962年1月1日昭和37年安芸郡下蒲刈島村が町制を施行し、下蒲刈町に改称した。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1969年11月3日昭和44年豊田郡豊浜村が町制を施行して豊浜町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 2003年4月1日平成15年安芸郡下蒲刈町が呉市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 2004年4月1日平成16年豊田郡川尻町が呉市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 2005年3月20日平成17年安芸郡の音戸町・倉橋町・蒲刈町と豊田郡の安浦町・豊浜町・豊町が呉市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。