今の三島町
福島県の会津地方中西部(奥会津)にある町です。大部分が山林で、只見川が町の中央を流れ、川沿いに河岸段丘が連なります。冬は積雪が2メートル近くになる特別豪雪地帯です。会津桐の産地で、桐下駄などの工芸品が作られます。奥会津編み組細工など、手仕事の文化が受け継がれています。1955年に宮下村と西方村が合併して三島村となり、1961年に町になりました。
今の三島町の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,452人です。今の区域で数えた1980年の3,389人とくらべると57.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は53.9%です。
主な産業:会津桐の産地で、桐の工芸品や奥会津編み組細工が作られています。
特産品・名産
- 会津桐桐下駄など桐の工芸品の材料。町は産地
- 奥会津編み組細工経済産業大臣指定の伝統的工芸品
- 桐の工芸品桐の材木を使った工芸品が盛ん
見どころ・祭り
- 三島のサイノカミ1月の行事。国の重要無形民俗文化財
- 三島神社9月に例大祭が行われる
- 三島町観光交流館からんころん会津宮下駅前の観光案内所
木キリ花オオヤマザクラ鳥ヤマガラ三島町の木・花・鳥
三島町のなりたち
三島町(みしままち)は、福島県会津地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。原谷村・西川村・三谷村・西方村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の三島町になりました。
今の名前「三島町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の三谷村が約45km²だったのに対し、今の三島町は約92km²と、およそ2.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は大沼郡に属していました。
「三島町」という名前
三島町の名の由来は、はっきりしていません。町は、1955年(昭和30年)7月20日に宮下村と西方村が合併して生まれた三島村が始まりです。合併した2つの村のどちらの名も使わず、新しい名が選ばれました。三島村は1961年(昭和36年)4月1日に町制を施行し、三島町になりました。町内には三島神社があり、毎年9月に例大祭が行われています。
まちの成り立ち
福島県の会津地方中西部(奥会津)にある町です。大部分は山林で、町の中心を只見川が流れ、冬は積雪が2メートル近くになる特別豪雪地帯です。川沿いには五段の河岸段丘が形成されています。1889年(明治22年)の町村制で、川西村・原谷村・三谷村・西川村が誕生しました。1917年(大正6年)に川西村が西方村と改称しています。1941年(昭和16年)には只見線の会津柳津から会津宮下の間が開業しました。1942年(昭和17年)4月1日には、原谷村・西川村・三谷村が合わさって宮下村になりました。1955年(昭和30年)7月20日に宮下村と西方村が合併して三島村になり、1961年(昭和36年)4月1日に町制を施行して三島町になりました。町は会津桐の産地で、明治期から桐下駄の生産が盛んです。奥会津編み組細工は経済産業大臣が指定した伝統的工芸品です。2012年には「日本で最も美しい村」連合に加盟しました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、大沼郡に川西村・西川村・原谷村・三谷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1917年9月25日大正6年川西村が改称し、西方村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1942年4月1日昭和17年西川村・原谷村・三谷村が合併し、宮下村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年7月20日昭和30年宮下村と西方村が合併し、三島村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1961年4月1日昭和36年三島村が町制を施行し、三島町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。