今の飯舘村
福島県の浜通りにあり、阿武隈高地の中腹の新田川の上流に位置する村です。標高は500メートル前後で、浜通りの中では高い土地です。花の栽培や黒毛和牛、インゲンなどの農業が営まれてきました。2011年の原子力発電所事故で全村避難となり、現在は帰還と暮らしの再建が進められています。村の大字には、飯樋・比曽・大倉・佐須の古い地名が残ります。
今の飯舘村の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,318人です。今の区域で数えた1980年の8,331人とくらべると84.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は57.5%です。
主な産業:黒毛和牛の飯舘牛や、トルコギキョウなどの花の生産が行われています。
特産品・名産
- 飯舘牛村産の黒毛和牛。特産物として知られる
- 花き(トルコギキョウなど)村の特産の一つ
- 凍み餅・凍み大根・どぶろく村の特産とされる加工品
見どころ・祭り
- いいたて村の道の駅までい館2017年に開いた村の道の駅
- 花塚山飯樋にある標高918.5メートルの山
- 虎捕山源頼義にまつわる伝承がある山
- 山津見神社1051年の創建と伝わる神社
- 村民の森あいの沢深谷にある森
木あかまつ花やまゆり鳥うぐいす飯舘村の木・花・鳥
飯舘村のなりたち
飯舘村(いいたてむら)は、福島県相双地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。大須村・新館村・石橋村・飯曽村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の飯舘村になりました。
今の名前「飯舘村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の新館村が約84km²だったのに対し、今の飯舘村は約235km²と、およそ2.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は相馬郡に属していました。
「飯舘村」という名前
飯舘村の名は、合併した二つの村の名から一字ずつ取った合成地名です。飯曽村の「飯」と大舘村の「舘」を組み合わせました。1956年(昭和31年)9月30日に、大舘村と飯曽村が合併して、飯舘村が発足しました。さらにさかのぼると、飯曽村は飯樋村と比曽村、大舘村は大須村と新舘村から名を取っています。
まちの成り立ち
福島県の浜通りにあり、阿武隈高地の中腹、新田川の上流に位置する村です。標高は500メートル前後で、浜通りの中では高い土地にあります。1889年(明治22年)の町村制で、飯樋村と比曽村が合わさって飯曽村に、大倉村と佐須村が合わさって大須村になり、新舘村と石橋村も発足しました。1896年(明治29年)からは相馬郡に属しています。1942年(昭和17年)4月1日には、大須村と新舘村が合併して大舘村になり、同じ日に飯曽村が石橋村を編入しました。昭和の大合併では、1956年(昭和31年)9月30日に大舘村と飯曽村が合併して、相馬郡飯舘村が発足しました。村の大字には、飯樋・比曽・大倉・佐須などの古い名が受け継がれています。平成の大合併のころは、新田川の下流にある原町市などとの合併協議会に参加していましたが、2004年に離脱しました。2010年(平成22年)9月には「日本で最も美しい村」連合に加盟しています。2011年(平成23年)の福島第一原子力発電所の事故では、村の全域が計画的避難区域となり、村民は避難しました。避難指示は、2017年(平成29年)3月31日に帰還困難区域の長泥を除いて解除され、長泥の特定復興再生拠点区域なども2023年(令和5年)5月1日に解除されました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、行方郡に飯曽村・大須村・新舘村・石橋村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年宇多郡と行方郡の区域で相馬郡が発足し、飯曽村などは相馬郡に属することになった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1942年4月1日昭和17年石橋村が飯曽村に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1942年4月1日昭和17年大須村と新舘村が合併し、大舘村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年大舘村と飯曽村が合併し、飯舘村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。