今の相馬市
福島県の浜通り北部にあり、太平洋に面した市です。西に阿武隈高地と相馬丘陵が連なり、宇多川と小泉川の河口には潟湖の松川浦があります。江戸時代は相馬氏の中村藩の城下町で、毎年の相馬野馬追でも知られます。海辺では松川浦のあおのり養殖やアサリ漁が行われ、内陸ではいちごや梨が作られています。
今の相馬市の区域の人口は、2020年の国勢調査で34,865人です。今の区域で数えた1980年の38,332人とくらべると9.0%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は31.4%です。
主な産業:農業、水産業、工業団地の工場があり、松川浦の観光もあります。
特産品・名産
- いちご和田地区を中心に栽培される
- 梨幸水・豊水・新高などが作られる
- 青のり松川浦などでとれる市の水産物
- ホッキ貝市の水産物の一つ
見どころ・祭り
- 相馬野馬追国の重要無形民俗文化財の祭り
- 松川浦潟湖。県立自然公園に含まれる
- 相馬中村神社社殿は国の重要文化財
- 中村城跡中村藩の城跡
木くろまつ花さくら(春)、はまなす(夏)、ききょう(秋)、さざんか(冬)鳥うぐいす相馬市の木・花・鳥
相馬市のなりたち
相馬市(そうまし)は、福島県相双地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、9の町村がありました。松ヶ江村・大野村・磯部村・中村町・飯豊村・山上村・玉野村・八幡村・日立木村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の相馬市になりました。
今の名前「相馬市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの9の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の山上村が約52km²だったのに対し、今の相馬市は約202km²と、およそ3.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は相馬郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧中村町の区域には中村駅(常磐線)があります。旧日立木村の区域には日立木駅(常磐線)があります。
「相馬市」という名前
相馬市の名は、この地方の郡の名「相馬」から来ています。相馬郡の名は、鎌倉時代からこの地を治めた相馬氏に由来します。相馬氏は下総国の相馬郡で力をつけた武士で、その後に宇多郡と行方郡へ移り、子孫は中村藩の藩主になりました。1954年(昭和29年)3月31日に中村町など8つの町村が合併して市が生まれたとき、この名が市の名になりました。
まちの成り立ち
福島県の浜通り北部にあり、太平洋に面した市です。西に阿武隈高地と相馬丘陵が連なり、宇多川と小泉川の河口には潟湖の松川浦があります。戦国時代後期から江戸時代にかけては相馬氏の本拠地で、1611年(慶長16年)に中村に本拠を移してからは、中村藩6万石の城下町として発展しました。1889年(明治22年)の町村制で、宇多郡に中村町と周りの7つの村が発足しました。1896年(明治29年)に宇多郡と行方郡が一つになって相馬郡となり、1900年(明治33年)には磯部村の一部が分かれて日立木村ができています。1929年(昭和4年)5月3日には、松ヶ江村が中村町に編入されました。昭和の大合併では、1954年(昭和29年)3月31日に中村町・大野村・飯豊村・八幡村・山上村・玉野村・日立木村・磯部村の8町村が合併して、相馬市が発足しました。市の産物には、和田地区のいちごや、磯部・石上地区を中心とする梨などがあります。相馬野馬追は国の重要無形民俗文化財です。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、市内で震度6弱の揺れを観測し、津波で沿岸部が大きな被害を受けました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、宇多郡に中村町と八幡村・磯部村・飯豊村・松ヶ江村・大野村・山上村・玉野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年宇多郡と行方郡の区域で相馬郡が発足し、中村町などは相馬郡に属することになった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1900年2月13日明治33年磯部村の一部(日下石・立谷・赤木・柚木)が分かれ、日立木村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1929年5月3日昭和4年松ヶ江村が中村町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1954年3月31日昭和29年中村町・飯豊村・磯部村・日立木村・大野村・八幡村・山上村・玉野村が合併し、相馬市が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。