今の新地町
福島県浜通りの北の端、相馬郡にある町です。東は太平洋に面し、西の丘陵は宮城県丸森町との境になっています。いくつかの小さな川が東へ流れて海に注ぎます。南の相馬市とは相馬港を分け合い、港の北側の埠頭が町内にあります。江戸時代は仙台藩領で、言葉や習わしに仙台側との近さが見られます。仙台市のベッドタウンとみなされることもあります。
今の新地町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,905人です。今の区域で数えた1980年の8,704人とくらべると9.2%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は33.0%です。
主な産業:いちごやいちじく、ニラなどの農業と漁業があり、相馬港と火力発電所も町内にあります。
特産品・名産
- いちご町のお土産品として紹介されている
- いちじくジャムやパウンドケーキにも加工される
- ニラ葉肉が厚く柔らかいニラ
- カレイ町の魚に定められている
見どころ・祭り
- 鹿狼山うつくしま百名山に選ばれた山
- 釣師浜海水浴場太平洋に面した海水浴場
- 右近清水平成の名水百選に選ばれた湧水
- 新地貝塚町内にある縄文時代の貝塚
木松花サクラ鳥キジ新地町の木・花・鳥
新地町のなりたち
新地町(しんちまち)は、福島県相双地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。福田村・駒ケ嶺村・新地村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の新地町になりました。
今の名前「新地町」は、1920年にあった新地村の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の新地村が約15km²だったのに対し、今の新地町は約48km²と、およそ3.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は相馬郡に属していました。
「新地町」という名前
「新地」という名前は、1889年(明治22年)の町村制で谷地小屋村・今泉村・小川村・杉目村・大戸浜村の5か村が合わさって生まれた村の名として使われ、今の町名に受けつがれています。ただ、なぜ「新地」と名づけられたのか、由来ははっきりしていません。1954年(昭和29年)に駒ケ嶺村・福田村と合併して新しい新地村となり、1971年(昭和46年)に町制を施行して新地町となりました。
まちの成り立ち
福島県の浜通りの北の端にある町です。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、谷地小屋村・今泉村・小川村・杉目村・大戸浜村の5か村が合わさり、宇多郡新地村が発足しました。同じとき、まわりには駒ケ嶺村と福田村ができています。1896年(明治29年)に宇多郡と行方郡の区域から相馬郡ができ、3つの村は相馬郡に属しました。
昭和の大合併では、1954年(昭和29年)8月20日に新地村・駒ケ嶺村・福田村が合併し、改めて新地村が発足しました。1971年(昭和46年)8月1日に町制を施行して新地町となり、今に至ります。
江戸時代の新地は、今の福島県の中でただひとつの仙台藩領でした。そのため、中村藩領だった隣の相馬市とは、言葉や習わしに違いが多いといわれます。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では大きな津波が押し寄せ、沿岸部が被害を受けました。2020年(令和2年)11月には新地駅周辺の市街地整備事業が完成しています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、宇多郡に新地村・駒ケ嶺村・福田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年郡制の施行により宇多郡と行方郡の区域から相馬郡が発足し、新地村・駒ケ嶺村・福田村は相馬郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1954年8月20日昭和29年相馬郡の新地村・駒ケ嶺村・福田村が合併し、改めて新地村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1971年8月1日昭和46年新地村が町制を施行し、新地町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。