今の川俣町
福島県北部、伊達郡の南東にあり、阿武隈高地の北部に位置する町です。中心部を広瀬川が流れ、まわりを丘陵や山に囲まれています。平安時代から養蚕と絹織物が行われ、「絹の里」として知られます。近年は自動車部品や電子部品の工場も立地しました。川俣シャモという地鶏が特産です。南東部の山木屋地区では、原発事故による避難指示が2017年に解除されました。
今の川俣町の区域の人口は、2020年の国勢調査で12,170人です。今の区域で数えた1980年の21,099人とくらべると42.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は42.3%です。
主な産業:絹織物の伝統があり、自動車部品などの製造業や畜産も行われています。
特産品・名産
- 川俣シャモ町の特産の地鶏
- 川俣の絹織物平安時代から続く養蚕・織物の産業
見どころ・祭り
- 小手姫像養蚕を伝えたとされる小手姫の像
- 羽山の森美術館旧小学校を使った町ゆかりの画家の美術館
- 峠の森自然公園町内の自然公園
木カエデ花ヤマツツジ鳥ウグイス川俣町の木・花・鳥
川俣町のなりたち
川俣町(かわまたまち)は、福島県県北地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、8の町村がありました。福田村・小島村・飯坂村・富田村・小綱木村・大綱木村・山木屋村・川俣町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の川俣町になりました。
今の名前「川俣町」は、1920年にあった川俣町の名前を受け継いでいます。ほかの7の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の川俣町が約5km²だったのに対し、今の川俣町は約130km²と、およそ27.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は伊達郡・安達郡に属していました。
「川俣町」という名前
町名は、1889年(明治22年)の町村制で伊達郡川俣村が町となったときの名を、そのまま受けついでいます。1955年(昭和30年)の合併で生まれた新しい町も川俣町の名を使いました。「川俣」という地名の由来ははっきりしていません。町は阿武隈高地の北部にあり、中心部を広瀬川が流れています。
まちの成り立ち
伊達郡の南東にある、阿武隈高地北部の町です。平安時代から養蚕と絹織物が行われ、「絹の里」として知られるようになりました。養蚕を伝えたとされる小手姫の伝説も残っています。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、伊達郡川俣村が単独で町制をしき、川俣町が発足しました。まわりには富田村・福田村・飯坂村・小綱木村・大綱木村・小手村などができ、1893年(明治26年)には小手村から小島村が分かれています。南東の山木屋村は、このころ安達郡に属していました。
昭和の大合併では、1955年(昭和30年)3月1日に川俣町・富田村・福田村・小島村・飯坂村・小綱木村・大綱木村と安達郡山木屋村が合併し、改めて川俣町が発足しました。これが今の川俣町です。1972年(昭和47年)には国鉄川俣線が廃止されました。
2011年(平成23年)の福島第一原子力発電所の事故で、山木屋地区は避難指示の対象となりました。この避難指示は、2017年(平成29年)3月31日に解除されています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、伊達郡川俣村が単独で町制を施行し、川俣町が発足した。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、伊達郡に富田村・福田村・飯坂村・小綱木村・大綱木村・小手村が、安達郡に山木屋村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1893年2月3日明治26年伊達郡小手村の一部(小島)が分かれ、小島村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1955年3月1日昭和30年伊達郡の川俣町・富田村・福田村・小島村・飯坂村・小綱木村・大綱木村と安達郡山木屋村が合併し、改めて伊達郡川俣町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。