今の松野町
愛媛県南西部の山あいにある町です。広見川と目黒川が流れ、どちらも四万十川の支流です。面積の約84%を森林が占め、「森の国」と呼ばれています。松丸地域は江戸時代から宿場町として栄え、役場や商店街があります。川は天然のウナギや川ガニの産地として知られます。農業では桃やゆず、梅、茶などが育てられています。県内で最も小さな自治体です。
今の松野町の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,674人です。今の区域で数えた1980年の5,912人とくらべると37.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は47.2%です。
主な産業:桃やゆずなどの農業と林業が中心です。食品工場も立地しています。
特産品・名産
- 桃町の特産品として知られる果樹
- 雷漬町の特産品に挙げられる漬物
- 天然うなぎ広見川・目黒川でとれる
見どころ・祭り
- 河後森城跡国の史跡の山城跡
- 虹の森公園淡水魚の水族館おさかな館などがある
- 不器男記念館俳人・芝不器男を顕彰する記念館
- 滑床渓谷国立公園にある目黒川上流の渓谷
木ひのき花エビネ松野町の木・花
松野町のなりたち
松野町(まつのちょう)は、愛媛県南予の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。吉野生村・明治村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の松野町になりました。
今の名前「松野町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は北宇和郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧吉野生村の区域には吉野生駅(予土線)があります。
「松野町」という名前
「松野」は、1955年(昭和30年)の合併のときにつけられた名です。合併した松丸町の「松」と、吉野生村の「野」を一字ずつ取っています。新しい町名をめぐっては、吉野生側が「吉野町」を主張して松丸側と意見が分かれ、松野・大森・鮎川・美山の4案から、どちらにも偏らない「松野」が選ばれたといわれます。
まちの成り立ち
江戸時代の町域は、松丸村など5村が宇和島藩、吉野村など4村が吉田藩に分かれていました。1889年(明治22年)12月15日の町村制で、現在の町域に明治村と吉野生村が発足しました。明治村は松丸・延野々・豊岡・富岡・上家地・目黒の6部落、吉野生村は吉野・蕨生・奥野川の3部落でできていました。1940年(昭和15年)11月10日、明治村は人口の増加で町制を施行し、松丸町となりました。1955年(昭和30年)3月31日、松丸町と吉野生村が合わさり、昭和の大合併で松野町が発足しました。平成の大合併では、松野町はほかの市町村との合併に加わりませんでした。そのため、今も愛媛県内で最も小さな自治体です。町域の8割以上が森林で、「森の国」のキャッチフレーズで交流の促進に取り組んでいます。目黒川の上流には、国立公園の滑床渓谷があります。江戸時代の後半には天災や飢饉で人口が伸び悩み、海岸地方からの移住が勧められました。明治以降は米や木材・炭・和紙などの山の産物が多く作られ、養蚕も盛んになって人口が増え、1950年(昭和25年)には9,857人に達しています。かつては土佐街道の要所で、物流と交易の場として栄えた町並みが残ります。
年表
- 1889年12月15日明治22年町村制の施行により、北宇和郡に明治村と吉野生村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1940年11月10日昭和15年北宇和郡明治村が町制を施行し、松丸町と改称した。種類:町制施行 出典:www.pref.ehime.jp
- 1955年3月31日昭和30年北宇和郡の松丸町と吉野生村が合併し、松野町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ehime.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。