今の白子町
九十九里浜に面し、海岸の自然や温泉、スポーツ施設を持つ町です。白潟町・関村・南白亀村の合併で成立し、白子神社にちなむ町名を採用しました。江戸時代にはイワシ漁と肥料の取引が行われ、現在はテニスをはじめとするスポーツ合宿の場としても利用されています。沿岸には昔からの集落と観光施設が並び、町の木にはクロマツ、町の花にはヒマワリを定めています。
今の白子町の区域の人口は、2020年の国勢調査で10,305人です。今の区域で数えた1980年の11,691人とくらべると11.9%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.5%です。
主な産業:玉ねぎやトマトの農業と、温泉やテニスなどを生かす観光が営まれています。
特産品・名産
- 玉ねぎ温暖な気候のもとで育つ町の特産です。
- トマト施設園芸で栽培される特産野菜です。
- メロン施設園芸などで栽培する果実です。
見どころ・祭り
- 白子温泉ヨウ素を含む泉質の温泉地です。
- 白子神社白蛇の伝説が伝わる神社です。
- 白子(中里)海水浴場海水浴や波乗りに利用される海岸です。
木クロマツ花ヒマワリ白子町の木・花
白子町のなりたち
白子町(しらこまち)は、千葉県長生地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。南白亀村・関村・白潟村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の白子町になりました。
今の名前「白子町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の関村が約10km²だったのに対し、今の白子町は約27km²と、およそ2.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は長生郡に属していました。
「白子町」という名前
白子の町名は、町内の白子神社の名に由来します。1955年に白潟町・関村・南白亀村が合併した際、白子神社の名を採って新町を白子町としました。合併前の一町二村の名前をそのまま残すのではなく、地域の神社にちなむ呼び名を町名に選んだものです。神社の名の由来と自治体名の成立は別の出来事で、町としての白子は昭和の合併から始まります。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、市制・町村制の施行により、旧十四村を合わせて長柄郡関村・白潟村・南白亀村が発足しました。現在の白子町の地域は、この三つの村として明治の地方行政を始めました。1897年には長柄郡と上埴生郡が統合され、三村は長生郡に属しました。
1940年2月、白潟村は町制を施行して白潟町となりました。1941年には南白亀村の一部が白潟町へ編入されています。1955年2月11日、白潟町・関村・南白亀村の一町二村が合併し、白子町が発足しました。新しい町名には、白子神社の名前を採用しました。
江戸時代にはイワシ漁が盛んで、干鰯や〆粕が農業の肥料として取引されました。九十九里浜に面する地域では、漁業だけでなく、海辺を利用する暮らしや産業が重なってきました。
現在の町の特徴には、海岸の自然や温泉、スポーツ施設があります。テニスなどのスポーツ合宿に利用され、海辺の観光地としての姿も持っています。明治の三村の発足から、白潟村の町制、昭和の一町二村の合併を経て、海岸の地域を一つの町として運営する白子町につながっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年旧十四村を合わせ、長柄郡関村・白潟村・南白亀村が発足した。種類:町村制 出典:www.town.shirako.lg.jp
- 1897年4月1日明治30年長柄郡と上埴生郡が統合され、関村・白潟村・南白亀村が長生郡に属した。種類:郡の変更 出典:www.town.shirako.lg.jp
- 1940年2月昭和15年白潟村が町制を施行して白潟町となった。種類:町制施行 出典:www.town.shirako.lg.jp
- 1941年4月1日昭和16年南白亀村の一部が白潟町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年2月11日昭和30年白潟町・関村・南白亀村が合併して白子町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。