今の長生村
九十九里浜に面し、平坦な地形と温暖な気候を持つ村です。高根・一松・八積の三村の合併を基礎に、合併後の一宮町への部分編入を経ています。稲作や野菜栽培、酪農、沿岸漁業に加え、西部工業団地を持ちます。外房線の八積駅が交通を支え、海岸は県立九十九里自然公園に含まれます。海水浴やサーフィンの場としても利用され、村の花にはハマヒルガオを定めています。
今の長生村の区域の人口は、2020年の国勢調査で13,803人です。今の区域で数えた1980年の10,132人とくらべると36.2%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は34.3%です。
主な産業:米やトマトの農業、沿岸漁業と製造業、海岸の観光が営まれています。
特産品・名産
- トマト施設園芸で栽培される特産野菜です。
- 青のり一宮川の汽水域で育つ特産品です。
- はまぐり九十九里浜の海で採れる貝です。
見どころ・祭り
- 長生観音村の平和や水難防止を願う観音です。
- 尼ヶ台総合公園運動施設や湿地植物園のある公園です。
- 一松海岸九十九里浜に面する砂浜の海岸です。
木ラカンマキ花ハマヒルガオ長生村の木・花
長生村のなりたち
長生村(ちょうせいむら)は、千葉県長生地域の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。高根本郷村・一松村・八積村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の長生村になりました。
今の名前「長生村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の一松村が約12km²だったのに対し、今の長生村は約28km²と、およそ2.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は長生郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧八積村の区域には八積駅(外房線)があります。
「長生村」という名前
長生村は、1953年に高根村・一松村・八積村が合併した際に成立した自治体の名前です。合併前の三村は長生郡に属し、新しい村も同じ郡に属しました。長生郡の名は1897年に長柄郡と上埴生郡を統合したときから使われています。語源ははっきりしていません。長生郡の呼び名が、三村を合わせて成立した村名に引き継がれました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制で、長柄郡に高根本郷村・八積村・一松村が発足しました。1897年に長柄郡と上埴生郡が統合されると、三村は長生郡に属しました。高根本郷村は1941年2月11日に高根村へ改称しました。
1953年11月3日、高根村・一松村・八積村が合併して長生村が発足しました。三村を合わせた新設合併です。その後、1954年4月に船頭給、1955年4月に一松の一部、同年9月に宮原が一宮町へ移りました。村の成立と、その後の部分編入を経て現在につながる区域がまとまりました。
長生村は九十九里浜に面し、平坦な地形と温暖な気候を持つ地域です。稲作や野菜栽培、酪農、沿岸漁業が行われてきました。1982年には西部工業団地が開設され、村の工業生産も拡大しました。農業や漁業に工業の拠点が加わったことも、戦後の村の変化です。
村内には外房線の八積駅があり、海岸は県立九十九里自然公園の区域に含まれています。海水浴やサーフィンに訪れる人もいます。旧三村を基礎とする長生村は、海辺の地域と鉄道沿線の地域を持つ自治体として、村の行政を続けています。
年表
- 1889年4月1日明治22年長柄郡に高根本郷村・八積村・一松村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年長柄郡と上埴生郡が統合され、関係町村が長生郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1941年2月11日昭和16年高根本郷村が高根村に改称した。種類:改称 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1953年11月3日昭和28年高根村・八積村・一松村が合併して長生村となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1954年4月1日昭和29年長生村の船頭給が一宮町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年4月1日昭和30年長生村の一松の一部が一宮町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年9月30日昭和30年長生村の宮原が一宮町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。