今の九十九里町
九十九里浜に面し、片貝・豊海と旧鳴浜村の作田地区を合わせて成立した町です。鳴浜村の残る区域は成東町へ移ったため、旧村全体が町内になったわけではありません。片貝漁港が整備され、九十九里鉄道の廃止後には海岸沿いの道路も開通しました。漁港と海辺の交通に関わる歴史を持ち、町の木はクロマツ、花はオオマツヨイグサ、鳥はシロチドリです。
今の九十九里町の区域の人口は、2020年の国勢調査で14,639人です。今の区域で数えた1980年の18,037人とくらべると18.8%減り、人口は2000年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.7%です。
主な産業:いわしなどの沿岸漁業、水産加工と九十九里浜の観光が地域を支えています。
特産品・名産
- いわし沿岸で水揚げされる地域の魚です。
- 九十九里いわしのごま漬イワシを酢やごまで仕込む郷土食品です。
- はまぐり九十九里の砂地で育つ二枚貝です。
見どころ・祭り
- 海の駅九十九里魚の販売やイワシの展示がある施設です。
- 九十九里ハーブガーデンハーブの庭園と飲食施設があります。
- 片貝海岸長い砂浜に面した海岸です。
木クロマツ花オオマツヨイグサ鳥シロチドリ九十九里町の木・花・鳥
九十九里町のなりたち
九十九里町(くじゆうくりまち)は、千葉県山武地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。鳴浜村・片貝村・豊海村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の九十九里町になりました。
今の名前「九十九里町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の鳴浜村が約10km²だったのに対し、今の九十九里町は約24km²と、およそ2.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は山武郡に属していました。
「九十九里町」という名前
九十九里は海岸の呼び名として広く知られ、現在の自治体名にも使われています。九十九里町という町は、1955年に片貝町・豊海町と鳴浜村の作田地区を合わせて成立しました。旧町村名を一つ残す形ではなく、海岸と同じ九十九里を新町名としています。語源ははっきりしていません。海岸の古い呼び名が、片貝・豊海・鳴浜の区域を合わせた町名に引き継がれました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制で、山辺郡に片貝村・豊海村・鳴浜村が発足しました。1897年には山辺郡と武射郡が統合され、三村は山武郡に属することになりました。海岸沿いの地域をそれぞれの村が運営する時代でした。
片貝村は1926年に町制を施行して片貝町となり、豊海村は1940年2月11日に豊海町となりました。1955年3月31日、片貝町・豊海町と鳴浜村の作田地区を合わせて九十九里町が発足しました。鳴浜村全体が新町に入ったのではなく、白幡・本須賀の区域は成東町へ編入されています。
合併後には片貝漁港が整備されました。1960年には漁港の起工式が行われ、1969年には船が初めて入港しました。海岸の漁業に関わる施設を整える歩みです。一方で九十九里鉄道は1961年に廃止され、1972年には九十九里波乗り道路が開通しました。地域の交通も、合併後に変わっていきました。
現在の九十九里町は、二つの旧町と鳴浜村の一部を基礎とする自治体です。片貝・豊海・作田の地名が残り、海岸沿いに漁港や集落が広がっています。片貝漁港は沿岸漁業の拠点となり、海岸沿いを九十九里有料道路が通っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年山辺郡に片貝村・豊海村・鳴浜村が発足した。種類:町村制 出典:www.town.kujukuri.chiba.jp
- 1897年4月1日明治30年山辺郡と武射郡が統合され、片貝村・豊海村・鳴浜村が山武郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1926年片貝村が町制を施行して片貝町となった。種類:町制施行 出典:www.town.kujukuri.chiba.jp
- 1940年2月11日昭和15年豊海村が町制を施行して豊海町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年片貝町・豊海町と鳴浜村の作田地区を合わせて九十九里町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年鳴浜村が分割され、作田は九十九里町の新設に加わり、白幡・本須賀は成東町に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。