今の黒石市
津軽平野の東の端にある市です。東は八甲田山に続く山地で、西が平野になっています。山地と平野の間の丘陵ではりんごが多く作られています。浅瀬石川が流れ、上流には浅瀬石川ダムの虹の湖があります。こみせの残る城下町の町並みと、温湯・青荷などの温泉郷、黒石やきそばで知られます。青森市・平川市・藤崎町・田舎館村などと接します。
今の黒石市の区域の人口は、2020年の国勢調査で31,946人です。今の区域で数えた1980年の40,755人とくらべると21.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は34.3%です。
主な産業:りんごなどの農業と、温泉や町並みを生かした観光が営まれます。
特産品・名産
- りんご市の花。りんご専門の研究所もある
- 黒石やきそば太い平麺のやきそば。つゆやきそばもある
- 温湯こけしイタヤカエデなどで作るこけし
見どころ・祭り
- 中町こみせ通り国の重要伝統的建造物群保存地区
- 高橋家住宅国の重要文化財
- 黒石温泉郷温湯・青荷などの温泉
- 中野山小嵐山と呼ばれた藩政時代からの紅葉の名所
- 津軽こけし館津軽こけしを展示する施設
木もみじ花りんご鳥セグロセキレイ黒石市の木・花・鳥
黒石市のなりたち
黒石市(くろいしし)は、青森県中南地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。中郷村・六郷村・山形村・浅瀬石村・黒石町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の黒石市になりました。
今の名前「黒石市」は、1920年にあった黒石町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は南津軽郡に属していました。
「黒石市」という名前
「黒石」の地名の由来ははっきりしていません。江戸時代には弘前藩の分家が治める黒石の城下町があり、1889年(明治22年)の町村制で黒石町が発足しました。1954年(昭和29年)に周りの4村と合わさって市になったときも、黒石の名がそのまま市の名になりました。
まちの成り立ち
黒石は津軽平野の東の端にあり、東は八甲田山へ続く山地、西は津軽平野です。江戸時代には弘前藩の分家が黒石を治め、1809年(文化6年)には1万石の黒石藩となりました。城下町の名残は、雪や日差しをよける木の通路「こみせ」が続く町並みに見られます。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、南津軽郡に黒石町と、中郷村・六郷村・山形村・浅瀬石村が発足しました。1954年(昭和29年)7月1日、黒石町と4村が合わさり、市制を施行して黒石市となりました。1956年(昭和31年)10月1日には、尾上町の追子野木の地区が黒石市に加わっています。平成の合併の時期には、弘前市などとの12市町村の協議会に加わりましたが、2004年(平成16年)に協議会は廃止され、黒石市は単独の市として続いています。山地と平野の間の丘陵ではりんごが多く作られ、りんご専門の研究所もあります。浅瀬石川の上流には浅瀬石川ダムの虹の湖があり、温湯温泉や青荷温泉などの温泉が点在します。中町こみせ通りは国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南津軽郡に黒石町・中郷村・六郷村・山形村・浅瀬石村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1954年7月1日昭和29年南津軽郡の黒石町・中郷村・六郷村・山形村・浅瀬石村が合併し、市制を施行して黒石市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 1956年10月1日昭和31年南津軽郡尾上町の一部(追子野木)が黒石市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 2004年7月31日平成16年弘前市・黒石市など12市町村でつくった津軽南地域市町村合併協議会が廃止され、黒石市は合併しなかった。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。