今の田舎館村
津軽平野の南側にある、米づくりの村です。村の中央を浅瀬石川が東西に流れ、弘前市との境を平川が流れます。東に八甲田山、西に岩木山を望み、土地の大部分は肥えた沖積土です。弥生時代の水田跡が見つかった垂柳遺跡があり、稲で絵を描く田んぼアートで知られます。弘前市・黒石市・藤崎町・平川市に囲まれています。
今の田舎館村の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,326人です。今の区域で数えた1980年の10,053人とくらべると27.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.1%です。
主な産業:稲作が中心で、りんごや野菜も作られ、田んぼアートの観光も営まれます。
特産品・名産
- 米弥生時代から作られてきた村の基幹作物
- りんご肥えた土地で作られる果物
見どころ・祭り
- 田んぼアート稲で田んぼに巨大な絵を描く
- 垂柳遺跡弥生時代の水田跡。国の史跡
- 田舎館村役場城郭風の外観で、展望台がある
- 田舎館城址千徳氏の城跡。サイカチの大木が残る
- 田舎館村博物館村の歴史を伝える博物館
木サイカチ花稲の花田舎館村の木・花
田舎館村のなりたち
田舎館村(いなかだてむら)は、青森県中南地域の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。光田寺村・田舎館村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の田舎館村になりました。
今の名前「田舎館村」は、1920年にあった田舎館村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の田舎館村が約13km²だったのに対し、今の田舎館村は約24km²と、およそ1.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は南津軽郡に属していました。
「田舎館村」という名前
「田舎館」の名の由来ははっきりしていません。1889年(明治22年)の町村制で、田舎館村・大曲村・枝川村・高樋村など11の村が一つになったとき、田舎館村の名が村の名になりました。1955年(昭和30年)に光田寺村と合併したときも、田舎館村の名が受けつがれています。
まちの成り立ち
田舎館村は津軽平野の南側にある、米づくりの村です。村の中央を浅瀬石川が東西に流れ、弘前市との境を平川が流れています。弥生時代中期の水田跡が約656枚見つかった垂柳遺跡は国の史跡です。南北朝時代にはすでに武将の館があり、戦国時代には千徳氏が田舎館城に住みました。1585年(天正13年)の津軽為信との戦いは今も語りつがれています。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、田舎館村などの11村が一つになって田舎館村が、周りの村から光田寺村が生まれました。1955年(昭和30年)4月1日、田舎館村と光田寺村が合併し、今の田舎館村が発足しました。同じ年に東光寺の一部が常盤村へ移り、翌1956年には尾上町から大袋の地区が加わっています。平成の合併の時期には弘前市を中心とする協議会に加わり、その後は平川市とも話し合いましたが、単独の村として続いています。稲で巨大な絵を描く「田んぼアート」は広く知られています。天守のある城のような外観の村役場も、村の目印になっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南津軽郡に田舎館村と光田寺村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年南津軽郡の田舎館村と光田寺村が合併し、改めて田舎館村が発足した。種類:新設合併 出典:www.vill.inakadate.lg.jp
- 1955年11月3日昭和30年田舎館村の一部(東光寺の一部)が南津軽郡常盤村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1956年南津軽郡尾上町の一部(大袋)が田舎館村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 2004年7月31日平成16年弘前市・田舎館村など12市町村でつくった津軽南地域市町村合併協議会が廃止され、田舎館村は合併しなかった。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 2008年1月10日平成20年田舎館村が求めた平川市との合併の話し合いで、両市村は合併は時期尚早との考えで一致した。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。