今の大鰐町
津軽地方の南端にある、温泉とスキーの町です。平川が山あいを北へ流れ、川沿いに大鰐温泉の町並みがあります。阿闍羅山の大鰐温泉スキー場には国際スキー連盟公認のコースがあり、大きな大会も開かれます。温泉の地熱を使って育てる温泉もやしが昔から受けつがれています。弘前市・平川市と、秋田県大館市に接しています。
今の大鰐町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,665人です。今の区域で数えた1980年の16,312人とくらべると46.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は43.5%です。
主な産業:温泉・スキー場を生かした観光と、温泉熱を利用した野菜づくりなどの農業があります。
特産品・名産
- 大鰐温泉もやし温泉の地熱で育てる伝統の野菜
見どころ・祭り
- 大鰐温泉平川沿いに広がる古くからの温泉街
- 大鰐温泉スキー場阿闍羅山にあり、国際コースを持つ
- 大円寺阿弥陀如来坐像が国の重要文化財
- 茶臼山公園為信の湯魂石伝説が残る公園
木ハギカツラ花ツツジ鳥ウグイス大鰐町の木・花・鳥
大鰐町のなりたち
大鰐町(おおわにまち)は、青森県中南地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。蔵舘村・大鰐村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の大鰐町になりました。
今の名前「大鰐町」は、1920年にあった大鰐村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は南津軽郡に属していました。
「大鰐町」という名前
大鰐町史によると、この地は昔、大きな阿弥陀如来像があることから「大阿弥陀」と呼ばれていました。その呼び名が「大阿子」「大安国寺」などと移り変わり、大浦為信が津軽を統一したころから「大鰐」と書かれるようになったと伝えられています。「鰐」は大きなサンショウウオのことで、それが棲んでいたという伝説によるものです。
まちの成り立ち
大鰐は津軽地方の南端にあり、平川に沿って町が広がります。平安時代の終わりごろ、円智上人が蔵館に寺を建てる途中で病に倒れ、夢のお告げで温泉に入って治ったという伝説が残り、温泉の町として知られてきました。江戸時代には津軽藩主も湯治に訪れています。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、宿川原村・三ツ目内村・居土村・早瀬野村・島田村・虹貝村・大鰐村が一つになって大鰐村が、蔵館村など5村が一つになって蔵舘村が生まれました。大鰐村は1923年(大正12年)に町制を施行して大鰐町に、蔵舘村は1951年(昭和26年)12月1日に町制を施行して蔵舘町になりました。1954年(昭和29年)7月1日、大鰐町と蔵舘町が合併し、今の大鰐町が発足しました。1964年(昭和39年)には、弘前市の森山の地区が大鰐町に加わっています。平成の合併の時期には弘前市を中心とする協議会に加わりましたが、単独の町として続いています。温泉の地熱で育てる大鰐温泉もやしは昔から受けつがれ、阿闍羅山には大鰐温泉スキー場があります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南津軽郡の宿川原村・三ツ目内村・居土村・早瀬野村・島田村・虹貝村・大鰐村が合併して大鰐村が、蔵館村・苦木村・長峰村・駒木村・唐牛村が合併して蔵舘村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1923年4月1日大正12年南津軽郡大鰐村が町制を施行して大鰐町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1951年12月1日昭和26年南津軽郡蔵舘村が町制を施行して蔵舘町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年7月1日昭和29年南津軽郡の大鰐町と蔵舘町が合併し、改めて大鰐町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 1964年弘前市の一部(森山)が大鰐町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 2004年7月31日平成16年弘前市・大鰐町など12市町村でつくった津軽南地域市町村合併協議会が廃止され、大鰐町は合併しなかった。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。