路線クロニクル日本の鉄道史 ─ 1路線の一生を再生する

路線クロニクル

深名線日本一寒い町を走り、1995年に消えた路線

深川〜名寄 121.8km (JR北海道・1995年廃止)

深名線は、北海道の深川と名寄を結んでいた国鉄・JRの路線である。雨竜川に沿って山あいを北へ進み、朱鞠内湖のほとりを通って、天塩川沿いの名寄へ抜ける121.8kmの路線だった。沿線の幌加内町は日本でも有数の寒さと雪の多い土地で、1995年に廃止されるまで、厳しい自然の中を走り続けた。

最も長かったころ
121 km(1937年)
駅の数
31駅
開業
1924年
廃止
1995年

この路線のなりたち

明治の終わりから大正にかけて、北海道の内陸では開拓が進み、雨竜川の上流にも人々が入植した。豊かな森林から切り出した木材や、開拓地でとれた作物を運ぶため、鉄道が求められた。

こうして1924年に深川から雨竜線が建設され、少しずつ北へ延びていった。一方、名寄の側からも名雨線が建設され、1941年に二つの線が結ばれて深名線となった。昭和の初めには、戦争に向けて資源の輸送や電源の開発が重視され、朱鞠内では大きなダムの建設も進められた。

路線の歩み

「▶ この章を見る」で、上のプレイヤーがその時代を再生します。

11924〜1932年

雨竜線、南から北へ

1924年、函館本線の深川から北へ、雨竜線が多度志まで開業した。線路は雨竜川に沿って少しずつ延び、1929年に幌加内、1932年には朱鞠内に達した。沿線では開拓と林業が進み、鉄道は木材や農産物を運び出す道となった。

21937年

名寄からは名雨線

反対側の名寄からも、1937年に名雨線が西へ延びはじめた。二つの線は、山あいの朱鞠内と名寄を結ぶことを目指していた。

31941年

全通して深名線に

1941年10月、最後の区間が開業して深川〜名寄がつながり、雨竜線と名雨線をあわせて深名線と名づけられた。全長は約121km。沿線の大半は、人の少ない山と森だった。

41943年

朱鞠内湖

朱鞠内のそばでは、発電のための雨竜第一ダムの工事が進み、1943年に完成した。せき止められてできた朱鞠内湖は、日本でもっとも面積の大きな人造湖の一つである。工事では、朝鮮半島や中国から連れてこられた人々を含む多くの労働者が、厳しい条件のもとで働かされ、命を落とした人も少なくなかった。

51950〜1970年代

国鉄の赤字ローカル線

1949年に国鉄の路線となった。林業が盛んだったころは、材木を積んだ貨物列車も走った。しかし山の仕事が減り、人々が町を離れていくにつれて、乗る人は減っていった。冬の幌加内町の母子里では、1978年にマイナス41.2度という記録的な寒さが観測されている。

61980年代

廃止されなかった理由

国鉄の赤字を減らすため、乗客の少ない路線はバスに置きかえる「特定地方交通線」に選ばれた。しかし深名線は、並行する道路が冬に通れないおそれがあり、バスに置きかえられないとして、この時は選ばれなかった。

71987年

JR北海道へ

1987年4月、国鉄の分割民営化で、深名線はJR北海道の路線となった。1日に数本の列車が、ほとんど乗客のいない雪の中を走る、日本でも有数の赤字路線だった。

81995年

深名線、廃止

沿線の道路の整備が進んだことから、JR北海道は深名線の廃止を決めた。1995年9月3日に最後の列車が走り、翌4日に廃止となった。深名線の役目は、JR北海道バスの深名線が引き継いだ。

この路線の見どころ

日本有数の寒さと雪

沿線の幌加内町は、冬の最低気温がマイナス30度を下回ることも珍しくない。1978年2月には、町内の母子里にある北海道大学の観測所で、マイナス41.2度が記録された(気象庁の公式の記録ではない)。深名線は、その中を走る鉄道だった。

朱鞠内湖

雨竜第一ダムによってできた人造湖で、深名線の車窓からもその姿が見えた。ダムの建設では多くの労働者が犠牲になり、その歴史を伝える取り組みがいまも続けられている。

幌加内のそば

幌加内町は、そばの作付面積が日本一の町として知られる。深名線がなくなったいまも、町の名物になっている。

廃止のあと

深名線が廃止されたあと、深川〜名寄の間はJR北海道バスの「深名線」が引き継いだ。沿線には、線路の跡や、使われなくなった駅舎、鉄橋などが、いまも点々と残っている。

沿線の幌加内町では、深名線の時代を伝える資料が保存されている。道北のローカル線が次々に姿を消した中で、深名線は国鉄の分割民営化のあとまで生き残った、数少ない路線の一つだった。

区間の開業(年ごと)

地図データ上の線路の長さを、開業した年ごとに足したもの(公式の営業キロとは少し違います)。1950年より前は、駅の開業年から推定した年です。

1924年ごろ14.0 km
1926年ごろ13.2 km
1929年ごろ16.3 km
1931年ごろ24.8 km
1932年ごろ10.2 km
1937年ごろ42.9 km

駅の一覧(31駅)

国土数値情報に記録された駅と、その供用開始年。1950年より前に廃止された駅は含みません。

駅開業その後
深川1924年1995年に北海道旅客鉄道へ
円山線路班1948年1000年ごろ廃止
円山1955年1995年ごろ廃止
上多度志1946年1995年ごろ廃止
多度志1924年1995年ごろ廃止
宇摩1955年1995年ごろ廃止
幌成1926年1995年ごろ廃止
下幌成1955年1995年ごろ廃止
鷹泊1926年1995年ごろ廃止
沼牛1929年1995年ごろ廃止
新成生1955年1995年ごろ廃止
幌加内1929年1995年ごろ廃止
上幌加内1955年1995年ごろ廃止
雨煙別1931年1990年ごろ廃止
政和温泉1961年1990年ごろ廃止
下政和1955年1961年に「政和温泉」と改称
政和1931年1995年ごろ廃止
新富1955年1990年ごろ廃止
添牛内1931年1995年ごろ廃止
大曲1955年1976年に日本国有鉄道へ
共栄1955年1995年ごろ廃止
朱鞠内1932年1995年ごろ廃止
湖畔1956年1995年ごろ廃止
宇津内1941年1000年ごろ廃止
北母子里1941年1995年ごろ廃止
蕗ノ台1941年1990年ごろ廃止
白樺1941年1990年ごろ廃止
初茶志内1937年1951年ごろ廃止
天塩弥生1937年1995年ごろ廃止
西名寄1937年1995年ごろ廃止
名寄1937年1995年に北海道旅客鉄道へ

接続する路線

同じ名前の駅でつながっている国鉄・JR・第三セクターの路線(いまはない線も含む)。

知っておきたいこと

なぜ国鉄の時代に廃止されなかったのか

1980年代に国鉄の赤字ローカル線の多くが廃止・転換されたが、深名線は「並行する道路が未整備で、バスに置きかえることが難しい」として対象から外された。道路が整ってから、JR北海道が自ら廃止を決めた。

地図の開業年について

このページの区間ごとの開業年は、国土数値情報の駅の開業年から推定したもので、実際の開業日と前後することがある。

線路の形と期間、駅の開業年は、国土数値情報「鉄道時系列データ」(国土交通省)を加工して作成しました。1950年より前に開業した区間の年は、駅の供用開始年から推定したもので、実際と前後することがあります。会社名・路線名の移り変わりと解説文は、このサイトでまとめたものです。
主な参考:国土交通省『国土数値情報 鉄道時系列データ』

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