11924〜1932年
雨竜線、南から北へ
1924年、函館本線の深川から北へ、雨竜線が多度志まで開業した。線路は雨竜川に沿って少しずつ延び、1929年に幌加内、1932年には朱鞠内に達した。沿線では開拓と林業が進み、鉄道は木材や農産物を運び出す道となった。
路線クロニクル
深名線は、北海道の深川と名寄を結んでいた国鉄・JRの路線である。雨竜川に沿って山あいを北へ進み、朱鞠内湖のほとりを通って、天塩川沿いの名寄へ抜ける121.8kmの路線だった。沿線の幌加内町は日本でも有数の寒さと雪の多い土地で、1995年に廃止されるまで、厳しい自然の中を走り続けた。
明治の終わりから大正にかけて、北海道の内陸では開拓が進み、雨竜川の上流にも人々が入植した。豊かな森林から切り出した木材や、開拓地でとれた作物を運ぶため、鉄道が求められた。
こうして1924年に深川から雨竜線が建設され、少しずつ北へ延びていった。一方、名寄の側からも名雨線が建設され、1941年に二つの線が結ばれて深名線となった。昭和の初めには、戦争に向けて資源の輸送や電源の開発が重視され、朱鞠内では大きなダムの建設も進められた。
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11924〜1932年
1924年、函館本線の深川から北へ、雨竜線が多度志まで開業した。線路は雨竜川に沿って少しずつ延び、1929年に幌加内、1932年には朱鞠内に達した。沿線では開拓と林業が進み、鉄道は木材や農産物を運び出す道となった。
21937年
反対側の名寄からも、1937年に名雨線が西へ延びはじめた。二つの線は、山あいの朱鞠内と名寄を結ぶことを目指していた。
31941年
1941年10月、最後の区間が開業して深川〜名寄がつながり、雨竜線と名雨線をあわせて深名線と名づけられた。全長は約121km。沿線の大半は、人の少ない山と森だった。
41943年
朱鞠内のそばでは、発電のための雨竜第一ダムの工事が進み、1943年に完成した。せき止められてできた朱鞠内湖は、日本でもっとも面積の大きな人造湖の一つである。工事では、朝鮮半島や中国から連れてこられた人々を含む多くの労働者が、厳しい条件のもとで働かされ、命を落とした人も少なくなかった。
51950〜1970年代
1949年に国鉄の路線となった。林業が盛んだったころは、材木を積んだ貨物列車も走った。しかし山の仕事が減り、人々が町を離れていくにつれて、乗る人は減っていった。冬の幌加内町の母子里では、1978年にマイナス41.2度という記録的な寒さが観測されている。
61980年代
国鉄の赤字を減らすため、乗客の少ない路線はバスに置きかえる「特定地方交通線」に選ばれた。しかし深名線は、並行する道路が冬に通れないおそれがあり、バスに置きかえられないとして、この時は選ばれなかった。
71987年
1987年4月、国鉄の分割民営化で、深名線はJR北海道の路線となった。1日に数本の列車が、ほとんど乗客のいない雪の中を走る、日本でも有数の赤字路線だった。
81995年
沿線の道路の整備が進んだことから、JR北海道は深名線の廃止を決めた。1995年9月3日に最後の列車が走り、翌4日に廃止となった。深名線の役目は、JR北海道バスの深名線が引き継いだ。
沿線の幌加内町は、冬の最低気温がマイナス30度を下回ることも珍しくない。1978年2月には、町内の母子里にある北海道大学の観測所で、マイナス41.2度が記録された(気象庁の公式の記録ではない)。深名線は、その中を走る鉄道だった。
雨竜第一ダムによってできた人造湖で、深名線の車窓からもその姿が見えた。ダムの建設では多くの労働者が犠牲になり、その歴史を伝える取り組みがいまも続けられている。
幌加内町は、そばの作付面積が日本一の町として知られる。深名線がなくなったいまも、町の名物になっている。
深名線が廃止されたあと、深川〜名寄の間はJR北海道バスの「深名線」が引き継いだ。沿線には、線路の跡や、使われなくなった駅舎、鉄橋などが、いまも点々と残っている。
沿線の幌加内町では、深名線の時代を伝える資料が保存されている。道北のローカル線が次々に姿を消した中で、深名線は国鉄の分割民営化のあとまで生き残った、数少ない路線の一つだった。
地図データ上の線路の長さを、開業した年ごとに足したもの(公式の営業キロとは少し違います)。1950年より前は、駅の開業年から推定した年です。
| 1924年ごろ | 14.0 km |
|---|---|
| 1926年ごろ | 13.2 km |
| 1929年ごろ | 16.3 km |
| 1931年ごろ | 24.8 km |
| 1932年ごろ | 10.2 km |
| 1937年ごろ | 42.9 km |
国土数値情報に記録された駅と、その供用開始年。1950年より前に廃止された駅は含みません。
| 駅 | 開業 | その後 |
|---|---|---|
| 深川 | 1924年 | 1995年に北海道旅客鉄道へ |
| 円山線路班 | 1948年 | 1000年ごろ廃止 |
| 円山 | 1955年 | 1995年ごろ廃止 |
| 上多度志 | 1946年 | 1995年ごろ廃止 |
| 多度志 | 1924年 | 1995年ごろ廃止 |
| 宇摩 | 1955年 | 1995年ごろ廃止 |
| 幌成 | 1926年 | 1995年ごろ廃止 |
| 下幌成 | 1955年 | 1995年ごろ廃止 |
| 鷹泊 | 1926年 | 1995年ごろ廃止 |
| 沼牛 | 1929年 | 1995年ごろ廃止 |
| 新成生 | 1955年 | 1995年ごろ廃止 |
| 幌加内 | 1929年 | 1995年ごろ廃止 |
| 上幌加内 | 1955年 | 1995年ごろ廃止 |
| 雨煙別 | 1931年 | 1990年ごろ廃止 |
| 政和温泉 | 1961年 | 1990年ごろ廃止 |
| 下政和 | 1955年 | 1961年に「政和温泉」と改称 |
| 政和 | 1931年 | 1995年ごろ廃止 |
| 新富 | 1955年 | 1990年ごろ廃止 |
| 添牛内 | 1931年 | 1995年ごろ廃止 |
| 大曲 | 1955年 | 1976年に日本国有鉄道へ |
| 共栄 | 1955年 | 1995年ごろ廃止 |
| 朱鞠内 | 1932年 | 1995年ごろ廃止 |
| 湖畔 | 1956年 | 1995年ごろ廃止 |
| 宇津内 | 1941年 | 1000年ごろ廃止 |
| 北母子里 | 1941年 | 1995年ごろ廃止 |
| 蕗ノ台 | 1941年 | 1990年ごろ廃止 |
| 白樺 | 1941年 | 1990年ごろ廃止 |
| 初茶志内 | 1937年 | 1951年ごろ廃止 |
| 天塩弥生 | 1937年 | 1995年ごろ廃止 |
| 西名寄 | 1937年 | 1995年ごろ廃止 |
| 名寄 | 1937年 | 1995年に北海道旅客鉄道へ |
同じ名前の駅でつながっている国鉄・JR・第三セクターの路線(いまはない線も含む)。
1980年代に国鉄の赤字ローカル線の多くが廃止・転換されたが、深名線は「並行する道路が未整備で、バスに置きかえることが難しい」として対象から外された。道路が整ってから、JR北海道が自ら廃止を決めた。
このページの区間ごとの開業年は、国土数値情報の駅の開業年から推定したもので、実際の開業日と前後することがある。
線路の形と期間、駅の開業年は、国土数値情報「鉄道時系列データ」(国土交通省)を加工して作成しました。1950年より前に開業した区間の年は、駅の供用開始年から推定したもので、実際と前後することがあります。会社名・路線名の移り変わりと解説文は、このサイトでまとめたものです。
主な参考:国土交通省『国土数値情報 鉄道時系列データ』