今の昭和町
山梨県のほぼ中央、中巨摩郡にある町です。甲府盆地の底にあたり、釜無川と笛吹川にはさまれた平らな土地が広がります。昔は川の氾濫に悩まされ、堤を築きながら田畑を開いてきました。今は甲府市のとなりの住宅地で、工業団地や大きな商業施設もあります。周りの町が合併して市になったため、中巨摩郡でただ一つ残る町です。
今の昭和町の区域の人口は、2020年の国勢調査で20,909人です。今の区域で数えた1980年の8,751人とくらべると138.9%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は19.6%です。
主な産業:工業団地の製造業、大型店などの商業、いちご・なすなどの施設園芸
特産品・名産
- いちご河東中島地区で施設栽培が盛ん
- なす河東中島地区で施設栽培が盛ん
見どころ・祭り
- 風土伝承館杉浦醫院地方病の歴史を伝える施設
- 義清神社甲斐源氏の源義清の居館跡と伝わる
- 鎌田川のゲンジボタル生息地1930年に国の天然記念物に指定された
木オトメツバキ花レンゲ鳥ヒバリ昭和町の木・花・鳥
昭和町のなりたち
昭和町(しょうわちょう)は、山梨県中北地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。西条村・常永村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の昭和町になりました。
今の名前「昭和町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の西条村が約6km²だったのに対し、今の昭和町は約9km²と、およそ1.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は中巨摩郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧常永村の区域には常永駅(身延線)があります。
「昭和町」という名前
「昭和」という村名は、1942年(昭和17年)7月1日に西条村と常永村が合併して昭和村が生まれたときにつけられました。名づけの理由を記した資料は見つかっていません。1971年(昭和46年)に町制を施行して昭和町となりました。町内の地名には、河西・河東中島・築地新居など、釜無川の流れや堤防づくり、湧水の利用など、水とのかかわりを伝えるものが多くあります。
まちの成り立ち
昭和町は、釜無川と笛吹川にはさまれた甲府盆地の底にあります。釜無川の流れは長く定まらず、戦国時代に武田氏が治水を進め、1560年(永禄3年)に信玄堤が築かれて流れが南に固められると、この地の開発が本格的に進みました。西条の義清神社には、甲斐源氏の源義清の館の跡という言い伝えがあります。
江戸時代には西条・押越・河東中嶋など11の村があり、すべて巨摩郡中郡筋に属しました。水害に悩まされる一方、紙漉阿原では豊かな湧水を使った紙漉きが起こったとされます。村々には寺子屋も多くありました。近代には日本住血吸虫症という地方病が流行する土地になりました。
1889年(明治22年)7月1日の町村制で、中巨摩郡に西条村と常永村が発足しました。1942年(昭和17年)7月1日に二つの村が合併して昭和村が生まれ、1971年(昭和46年)4月1日に町制を施行して昭和町となります。戦後は国母工業団地や釜無工業団地がつくられ、甲府市に近いことから住宅も増えました。平成の大合併で周りの町が甲斐市・南アルプス市・中央市になったため、昭和町は今、中巨摩郡でただ一つの自治体です。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、中巨摩郡に西条村・常永村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1942年7月1日昭和17年西条村と常永村が合併し、昭和村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1971年4月1日昭和46年昭和村が町制を施行し、昭和町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。